1981冬
「何だ、たいして描けてないじゃないか」
T先生は、暫く僕が写生するシクラメンの花を見て言った。
画面の真ん中に、申し訳なさそうに肩を窄めて咲いている
シクラメンは、僕の眼から見ても確かにたいしたものでは
なかった。
小学5年の図工。もう何故そうなったかは記憶にないが、
その日は担任のW先生がお休みで、隣のクラスのT先生
が代行で2クラス合同の授業となった。
小学1年から通い始めた絵画教室、「長谷川デザイン
研究所」。ハセガワ先生はかつてプロを目指すほどの野
球選手だった。20歳の時に足の大怪我が原因で野球を
断念し、美術の大学に進んだ。デザインの仕事の合間に
子供のための絵画教室を開き、少年野球チームを監督
として主催した。もちろん僕も野球に参加して、多くの時
間を監督と共に過ごした。
GOOD
VERY GOOD
VERYVERY GOOD
VERYVERY GOOD 上
VERYVERY GOOD 特上
秀
すべて赤い朱肉を使ってスタンプで評価が押された。スタ
ンプ横には赤サインペンでコメント。
「高校生顔負けの素晴らしい表現になった!」
「デザインに心が吹き込まれた」
「正確なデッサンに対して色が大人し過ぎた」
「このダイナミックな帆船は今にも動きだしそうだ!」
こんな評価をされれば、誰でもそうなるに違いない。僕は図
工が大の得意になった。担任のW先生も「上手いじゃないか」
の乗せ上手。そして・・・
今日はいつもとうって変わって緊張感のある図工。T先生の
コメントがぼそっぼそっと、辛辣、厳しい・・・
「何だ、たいして描けてないじゃないか」
僕の絵は、ただそこにあるシクラメンを説明しているだけ。花が
咲くエネルギーに歓喜するでもない。描き、立ち現れる造形に
新しい感動があるわけでもない。知らず知らず、上手な絵を描
くことに意識を奪われて、あの感動から遠ざかってしまっていた。
アドバイスは、そこに真剣な眼差しを伴った時に効果をあげる。
それからの僕は、上手な絵ではなく喜べる絵を描くことを決意し
た。小学5年の決意など、強風の中で左右に旋回するゲイラカ
イトが、真さかさまに脳天を地面に打ちつけるかのように、一瞬
で消えてしまいそうだ。でもいいじゃない。そう思ったのは確かな
事実なのだから・・・。
上手な絵。
上手なアーサナ(ヨガのポーズ)。
上手なサーブ(テニス)。
未だ旋回を続けて、北よりの風に吹かれています・・・。


