1979春
小学3年と4年の間の春休み、家族で伊豆に旅行した。
青木の父さんは沼津に実家があって、沼津、御殿場、箱根、
ちょっと外れて伊豆などによく連れて行ってくれた。今いるの
は伊豆高原、何ということもない小山が、枯野から草が芽吹
いて黄緑色に塗られていく。
そんな黄緑をこげ茶で塗りつぶしていく作業。ソリにして滑り
下りていくダンボールは、家から持ってきている。所々に散り
ばめられた芝の上を狙って、加速することを期待しながら滑
降開始。かなりの急斜面でも、尻を着いている安心感のせい
か、まったく怖さはない。頭にタオルを巻いてシルバーのジャ
ンパー姿の父さんも、トレーナーにダウンベストの僕も意気
揚々、「とぅりゃー」「そりゃー」と直滑降。時々でこぼこ、時々
でか石、つまずいて転倒、これが面白くてやめられない。
枯れて乾燥した芝と瑞々しい雑草の緑。ジーンズとダウン
ベストはカーペットクリーナーのごとく草たちをコレクション。
遠く見守る母親は、汚し放題の僕らを寧ろ喜んでいた・・・・。
僕が4歳の夏に母子家庭になると、腕白盛りの時期に父親
がいないことを「内気で軟弱な男の子になってしまうのではな
いか」と、ことの他気にしていた。食事の時には「なるべく沢山
食べなさい」「そんなに入らないよ」「つべこべ言わずに食べれ
るだけ食べなさい」「わかったからもう言わないで」・・・休みの
日には「どこに行きたい?」・・・この場合の行き先は、天気が
好ければ絶対に屋外、それもなるべく野山の近く。例えば「遊
園地に行きたい」となっても、読売ランドとかではなく富士急ハ
イランドで決まり。雨が降れば屋内のスポーツ、卓球、バドミント
ン、プール。途中で雨が止んだと思ったら、いつの間にかフィー
ルドアスレチックに連れて行かれた。
特にアスリートというわけでもない普通の主婦だった母が、全て
の競技を僕に指導し、対戦相手を務めた。小学校にあがる前には、
青木の父さんと再婚。巨人ファンの父さんは、僕に野球を教えて
対戦相手も交代してくれた。小2の春から少年野球のチームに加
わり、野球漬けの毎日。ユニフォームがあまり汚れていないと、「今
日はあまり練習しなかったの?」と不思議な顔をされた。
そして今日は、冷んやりと乾燥した空気が太陽の光を一層際立た
せる、雲ひとつない晴天のもと、絵に描いたようなアウトドア親子が、
芝塗れになって遊んでいる。僕は思った。今日の僕は完璧だ。母が
望むやんちゃな息子、父が出したアイデアに前向きに同意する素直
な息子、の両役を完全に演じきった。
自己満足に浸る僕は、ホンダシビックの後部シートを独占している。
仰向けに星を見上げながらの帰路の記憶は、西湘バイパスからただ
の134に変わる辺りで、すっかり夢の中に溶けてしまっていた・・・。



