大ちゃんへの手紙
寄り道をしてシクラメンを2本、チロルとエヴァという鉢を買って部屋に飾りました。
珈琲の香りが心地よくて、新聞を読んで、日記をつけて眠りました。
10日間くらい経ちました。僕は簡単だったようです。僕は自分でいることが嫌いで
はなくなっていました。変わらないようで、ほんの少しだけ変化している毎日。シクラ
メンが枯れてしまうと、名前の分からない花を道端からもぎ取って、一本差しにまた
飾り、鉢に水をやる朝の日課。出掛ける支度。知ってる顔。知らない顔。挨拶。おい
しい食事。まずい食事。
僕は世界が「ぐんにゃり」したものであると、認めてしまいました。すべて仮定の上
で成り立った約束で、社会は成立しているけど、命とかエネルギーは、流れようとす
る「力」です。流れることで新しい創造が生まれるから、小説や音楽や美術が、僕は
やっぱり大好きです。そういう「力」を感じさせてくれるから。
血とか骨レベルで、自分勝手がいいんだと思えるようになってきた気がするの
です。 僕は「全体」としての個だけど、「全体」は拡散していくものだから、自分
の快感原則や直感がやっぱり判断基準でよいのだと思うのです。「ぐんにゃり」
に馴染むのが心地よいのです。
この文章、大ちゃんのだよね。
僕はそんなことも忘れてしまうぐらい、「ごちゃっ」とした日常にいます。この文章、
素晴らしいと思うんだ。「僕は簡単だったようです」によって、全体がとても澄んだ
空気に包まれてしまいました。とても瑞々しい体験をしました。
さて「ごちゃっ」とした日常についてです。
来月、アフリカのベナン共和国に行くことになりました。情報の少ない西アフリカ
の国に行くとあって、今日から僕は私や俺ではなく「僕」だし、語尾は「ですます」
調なのです。謙虚と表現してもいいし、びびってると言われてもその通りです。

