今の日本企業についても言えるのだが、半世紀前の旧日本軍についても同じことが言える。

1942年5月珊瑚海で初めて日本とアメリカの機動部隊が対峙した。

世界で初めて空母同士の対決でもある。


もともとは資源の確保で始めた戦いも確保を妨げる要因があるものを積極的に排除する戦争に変わっていった。

その為に護衛や防御線を構築すれば良いものを「攻撃は最大の防御」と考え

また太平洋戦争を主導する立場でもあったので戦いに打って出た。


ついでにユニクロは服が儲かると服とは違う業種に展開してほとんど失敗している。

スポクロ・野菜のユニクロ


結果としては日本は軽空母を、アメリカは正規空母を1隻ずつ失った。

この作戦に参加した日本の機動部隊は第二機動部隊。


アメリカ空母ヨークタウンを損傷で終わらせた事で

「俺達がいれば…」と第一機動部隊のパイロット達は言ったそうである。


この珊瑚海の戦いは引き分けであるが、この引き分けが明暗を分ける。

昨夜まで3夜連続でNHKスペシャルを見た。

戦後旧海軍の参謀が集まって反省会を開いて事を放送していた。


ここでもやはり軍隊特有の、そして日本人、日本語特有の曖昧さで流されていった事が伺われた。

「神風特別攻撃」の命令責任、戦後の裁判対策。


こんなことで失われていった命があまりに報われない。


ゼロ戦、正しくは「零式艦上戦闘機」

三菱が作った世界に誇れる戦闘機であった。


誇れる戦闘機も誇れる操縦士が乗って初めて誇れるものであって

決定的な弱点があった。


それは操縦士を守る防弾性能がほとんどないこと。

燃料タンクも然り。


三菱自動車が、安全性をないがしろにした事が大きな問題になったことは平成になってからだ。

意外と企業も人も変わるようで変わらない

日本は昔、気力と精神力で世界を相手に戦争した。

それを知らない日本人は結構いるらしく、アメリカ相手に戦って

「どちらが勝ったんですか」

なんて聞く人もいるらしい。


今週は終戦記念日があり、TVなど戦争を振り返った番組が多い。


日本はアメリカ相手に戦争をした。

アメリカは日本が中国をしてるので撤退しなければ石油の供給を止める、

と脅された。


当時の日本は日清・日露・第1次大戦で「常勝国」でもあり

プライドが許さなかった。


アメリカは日本が暴発するのをある程度予想していた。

そして日本はその通りアメリカと戦争をした。


旧日本海軍指令長官山本五十六は戦争反対者だった。

アメリカ駐在経験もあって国力の差は他の者と違って認識していた。

「半年か1年ぐらいなら暴れて見せますがあとは皆目検討がつかない」

でももしやるならば出鼻をくじかねばならない。


そのためにはアメリカ太平洋艦隊を叩かねばならない。

真珠湾攻撃を決断する。


真珠湾攻撃に関しての文献・メディアはたくさんあり、取り上げ方により様々な解釈がある。


太平洋戦争は飛行機の戦いになると認識できなかった。

それが水雷専門の南雲中将の過ちがだった。


2派の攻撃終了後、さらに3派目の攻撃を誰もが考えていた。

3派目の攻撃をすべしと進言したのは山口多聞だった。


まだ港湾施設や石油貯蔵庫が無傷だったからだ。

しかし南雲は艦隊を叩き潰し、敵の迎撃体制も整いつつあるので止めた。


軍艦を失ったアメリカ海軍はやることがなかった。

なので日本軍の暗号解読を行う事が仕事になった。