バレンタインの土曜日 自死したドイツの詩人ヨッヘン・クレッパーの日記から
ドイツの詩人ヨッヘン・クレッパーは敬虔なキリスト者で賛美歌を作詞しています。詩人は人間の弱さと強さを知っていました。歌詞の中で「御子の慈しみのほかは何ものも助けをもたらさず、御子こそがあなたを救うために来られると信じるなら、いかに大きな罪であれ、あなたは忘れてかまわない。」と歌いました。自分は弱いままだけれども、それを思い煩う必要はないというのです。
彼の妻と息子はユダヤ人でした。第二次世界大戦中です。ドイツのユダヤ人狩りが始まります。彼は強制的に離婚させられ、二人が強制収容所に連れて行かれることになりました。それを聞いた三人は一家で心中したのです。キリスト者が神から与えられた命を自ら絶つことは大罪です。当時、自死した者の亡骸は十字路に埋めて人々の足で踏みつけられる存在でした。もちろん教会は葬儀を拒みます。キリスト教では人間は罪人だと考えますが、自死だけは決して許されない罪と考えられていました。
ひよっとして彼はわざと罪を犯したのかも知れません。肉体は殺すことができても魂まで殺すことはできない。どんな権力者であろうが内心の自由まで侵すことができないように。彼の最後の日記にはこう残されていました。ここでは自死を自殺と訳します。
「すべてことは人間に許されている、すべての善いことも悪いことも。・・・・私は、どうして自殺を例外だとすることができたのか。・・・・どんな権利をもって、この罪について、それは許されるはずがないなどと言ったのか。・・・・自殺は他の全ての罪のように神の赦しの中におかれていると信じる」。
詩人は自死は罪ではないと正当化したのではありません。聖書の教えでは、はっきりと罪です。しかし、それは他の罪と同じようにイエスが十字架の身代わりとなった罪の一つなのでしょう。「わたしはキリストの微笑みの中で死ぬ。」詩人は絶望のまっただ中でキリストを見いだしたのです。だれもが彼の行いを責めることはできませんでした。むしろ、ナチスドイツという政権の暴走を押しとどめることができなかったこと。多くの人がそれに協力したこと。責められるべきは自分たちだったのです。彼の日記には新約聖書の言葉が記されていました。「心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」ヨハネ第一の手紙
伝説の殉教者バレンチヌスの殉教の前日、司祭は後世に何を願って命を捧げていったのでしょう。ドイツの詩人が自死しなければならない社会から今日までまだ百年も経っていません。人間は400万年前に誕生し進化し続けてきたはずです。なのに一世紀も経っていない社会にこんな悲劇が存在し、今日に至るまで生きづらい生きにくい社会は形を変えて残っています。自死を罪かどうか論じるよりも、何が彼らを死に追いやったのか。その原因を追及する方がいいと思います。どうすれば自死がなくなるのか、みんなの心が潤い喜んで一日を送れる社会を実現するにはどうすればよいか。バレンチヌスは伝説の司祭ですが、にもかかわらずなぜ今日まで語り継がれているのか、考えてみたいとと思います。
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんは祈っていました。彼は神仏を信じたわけではありません。彼の祈りは願いと言うよりも集中することでした。コンセントレイト、無心に何も考えずに心を静めるやり方です。一日の始まりに、一日の終わりでもいいと思います。あるいはお昼休みに。一分でも何も考えないで無心になる時を持つ。心静かに自分の心の声に耳を澄ませてみる。そんな時があってもいいのではないでしようか。そこから新しい何かが生まれるような気がします。昨日も今日も明日も様々なことは起こります。でもその狭間にあって一時心を静め、福音記者使徒ヨハネがエフェソスの信徒達に送った手紙の言葉を観想してみてはいかがでしょうか。