今年は暖冬です。やっと梅が咲きました。 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 立梅用水の下にある集落、もう雨が降りそうです。昨日から曇り空で放射冷却もなくて暖かい朝になりました。その代わり午後も気温は上がらないでしょう。

 

 立梅用水ですから沿道には梅が植えてあります。去年と比べると二週間ほどは遅咲きです。いつもの年ならぐんと気温が冷えて、その寒さに梅の木も目覚めるのですが、今年は暖冬なのでやっとつぼみが膨らんだばかり。

 

 咲いています。やっと梅の花の季節になりました。この木はもっと用水にせり出すように枝が張りだしていたのですが、見事剪定されて少し華やかさは今ひとつです。

 

 接写するればこんな感じです。梅の香りがほんのり漂っています。

 

 スイセンもその香りに仲間入り。少し春に近づいたかも。

 

 奈良時代の勅撰和歌集である万葉集にはこんな一首があります。

 

 残りたる 雪にまじれる 梅の花 早くな散りそ 雪は消ぬとも 

 

 残っている雪に交じって咲いている梅の花よ。そんなに早く散ってしまいないでおくれ。雪が消えても。

 

 万葉時代、梅の花と雪はよく読まれた題材です。時代はかなり下りますが、平安時代から鎌倉初期の歌人藤原定家の一首には和歌山県新宮市でも雪が降っていたらしいです。彼は上皇の熊野詣のお供として参加しています。

 

 駒とめて 袖うちはらふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ

 

 馬を止めて、雪がついた袖をはらっと落とす姿も見られまい。佐野の渡の雪の夕暮れよ

 

 新宮市に今でも佐野という所があります。紀伊半島の東端と言うよりも南端と言ってもいいような位置にあります。今では雪が降ることはほとんどありません。もっともこの短歌は定家の心象風景なのかも知れません。それでも、当時雪が降っていたことは事実なのでしょう。佐野を奈良県の狭野と解釈する人もいますが、これは佐野なので和歌山県新宮市です。なぜなら、狭野は上皇の熊野詣のルートからは外れています。

 

 私たちが生きている時代は地球温暖化によって古代よりも暖かな冬を過ごしているのでしょう。いまでこそ、奈良県の吉野はたまに雪景色になりますが、吉野は雪深いところだと書いてあります。暖かい冬は過ごしやすいのですが、寒いときには寒くなるのが地球という惑星が健やかな徴なのかも知れません。

 

 雪と言えば、雪の研究に一生を捧げた中谷宇吉郎という学者がいました。彼のエッセイ集、「雪は天からの手紙」という作品を読むと、雪の結晶だけでそれがどんな高さで、どんな温度で、どんな気象条件で生まれたかが分かるそうです。最近は、工場や車からの煤煙で窒素鵜酸化物が含まれ、それが核になって雪になっています。雪の結晶というミクロの世界から、地球環境というマクロの世界が見え隠れします。

 

 雪山縦走では雪を溶かして飲み水を作りますが、ガスストーブでてんこもりの雪を溶かしていると飲めた物ではありません。人間活動がつくりだした環境破壊、それは天にまで届いて私たちの生活に降り注いでいるのです。