冬の野原に出てみると・・・ | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 今日は小春日和になったので東海自然遊歩道の立梅用水に出かけました。雲一つない快晴です。小春日和といっても小春とは10月23日~12月22日までの期間を言うので、気分的には小春日和のような陽気ということです。

 

 清流櫛田川、去年は巨大な氷柱が貼っていましたが今年は暖かいのでありません。川面が凍っていましたが、それも今年はなし。やはり暖冬なのでしょうか。

 

 ネコヤナギが咲いています。いつもならもっと咲いているのですが、今年は控えめです。ネコヤナギも冬の寒さに目覚めて早く咲くことはあっても、今年のような暖冬ではやはり咲くのも遅いのか。

 

 寒椿が咲いています。これもまた一輪だけ。温かいから寒さに目覚めないのか? やはり季節のメリハリがあった方がいいのかも知れません。

 

 紅梅。これも蕾が申し訳なさそうに膨らんでいます。もう咲いてもいい頃なのにね。

 

 秋に豊かに実をつけていた渋柿はカラスさえ食べ残して、寒さに凍てついて無残です。

 

 今日は阪神大震災があった日です。あれから29年も経ちました。あの日の朝、西の方からゴオオオッという響きが東に向けて伝わってきました。ベッドで寝ていて、まあいいかと二度寝しました。7時のニュースではあまり情報が入っていません。しかし、午後になるとその全容が分かってきました。一年前に通った高速道路が横倒しになっています。大変なことが起こっている。

 

 神戸市にはそれを語り継ぐために人と防災未来センターがあります。震度7でどう行動するか。実際にセンターで揺れを体験するとこれは助からないなと思いました。「最善を尽くせ」とか言われてももう運を身に任せるしかないと思いました。津波なら少しでも高いところに逃げようとはするでしょう。しかし、直下型地震でどう身を守るのか。バーチャルな世界といっても一度体験しておく価値はあると思います。

 

 めったに巨大地震は起こりません。しかし、2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。首都圏にいる子供たちは停電した職場で一夜を明かしました。連絡がついたのは一日後のことです。まさか家族も震災にあうなんて。友達の所在が分かったのは数週間も後でした。日本列島は火山と造山運動でできた陸地で、私たちはその上に住んでいます。能登半島を作ったのは4000年に一度起こるような地震の隆起が何度も積み重なってできた地形です。私たちはそんな陸地に住まわせてもらっているようなものです。災害はいつかは起こります。どうしたら、災害を減らすことができるのか。そのために何を備えればいいのか、この日、考えたいと思います。

 

 伊勢市に大湊という所があります。江戸時代末期に起こった安政の大地震の話を聴きました。地図の右中央に灯台があるのですが、江戸時代にはここまで集落があったと言います。話を聞いているときは聞き流していたのですが、帰ってきて地図で確認してみるととんでもない位置に灯台があることが分かります。海に沈んだ集落。今でも瓦や瀬戸物が沈んでいるとか。ところが、1944年の昭和東南海地震では何も被害がなかったという。同じ南海トラフの巨大地震でも震源地によってまったく違った結果になることがあります。

 

 令和6年能登半島地震でも北岸の輪島市は隆起したため津波の被害が少なく、東岸の珠洲は隆起しなかったために津波の被害が多いという報告もあります。もっとも隆起したために漁港などのインフラは再構成しなければならないため、被害の大きさを一概に評価することはできませんが。

 

 天気予報なら衛星から雲の動きが分かり、気圧も温度も湿度も風も観測できます。データがあれば何時間後に晴れるのか雨なのか当たり外れはあっても予知はできます。しかし、地震は地中で起こっていることなので観測するのは気象のようには行きません。それも4000年に一度起こるような頻度ではデータの蓄積もありません。今でもGPSによる地形のひずみを捉えて、西日本は西方向へ、東日本は東方向に引っ張られていることが分かっています。それでも気象観測のデータに比べたら地震のデータは微々たるものです。

 

 私たちが住んでいる紀伊半島は、南海トラフの巨大地震が起きれば最大17mの津波が来ます。どうしたら災害を減らすことができるのか。少しでも予知できるのか。まず知ることから始めたいと思います。知ることができたら少しはその日のために備えることもできるでしょう。震度7の揺れが来たら、なすすべもないことが神戸の人と防災未来センターで体験できました。地震を予知するにはあまりにも観測方法が難しいこと、データが少なく予知が難しいこと。それが分かるだけでも次の備えに学ぶことはあると思います。できないからこそ、その中でできることを見つけることはあるはずです。