今日は78回目の長崎原爆忌です。アメリカの従軍写真家ジョセフ・ロジャー・オダネルは私用のカメラで長崎や広島を撮影していました。「焼き場に立つ少年」という題名をつけられた一枚。この写真は長く彼のトランクの中に密かにしまってありました。私的に被爆後の広島・長崎を撮影することは軍の規律に反することでした。しかし、戦争の惨禍を伝えなければ・・・。彼は重いトランクを開けました。45年間封印された写真が日の目を見た瞬間です。秘められた文書は歴史が必要とするときに発見されるものです。
真っ赤な夕日のようなほのおは、直立不動の少年のまだあどけないほおを赤くてらしました。その時です、ほのおを食い入るように見つめる少年のくちびるに、血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつくかみしめているため、くちびるの血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のようなほのおが静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
これは彼の手記です。彼の前では多くの遺体が焼かれ真っ赤に燃えた炎が彼の顔を照らし出しています。直立不動で無表情。唇には血がにじんでいます。これから弟を荼毘に付さなければならない。固くかみしめたために血さえ流れない少年の心はどんな状態なのでしょう。少年は弟が灰になるのを見届けて、黙って焼き場を去りました。その後、少年はどこへ行ったのでしょう。
この写真は長崎ではないという指摘もありますが、長崎本線道ノ尾駅近くの踏切と地形がほぼ一致することが日本放送協会の調査で明らかになりました。この画像は名札の位置が反対なので裏焼きで左右が反転しています。
「焼き場に立つ少年」は長崎原爆資料館に寄贈され、ローマ教皇のフランシスコが、この写真を印刷したカードを、戦争がもたらすものという言葉を添えて、世界の教会に配布するように指示を出し、世界的に広まりました。
1945年8月9日11時2分、B29は長崎に原爆ファットマンを投下しました。死者 73884人。当時の長崎の人口は24万人です。ニュースでは多くが原爆投下時刻を11:02としています。しかし、長崎では原爆炸裂時刻と呼んでいます。投下と炸裂では受け取る意味合いが大きく異なります。
大きく見渡せば7万4千人の人が亡くなったのでしょう。しかし、一人の死は、「焼き場に立つ少年」のように亡き方を愛する人たち、関わりのある人たちがどれだけいるのでしょうか。 73884人の一人ひとりの死の瞬間を一枚の写真で切り取れば、どれほど戦争が悲惨なのかがあぶり出されてるでしょう。
20世紀は二度の世界大戦があり、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など戦争の世紀でした。21世紀は平和の時代なのかと思えば、早くもウクライナ戦争が起こり、人間は歴史に学ぶことをしませんでした。戦争は何をもたらすのか。一枚の写真から心を静めて考えたいと思います。