紀伊半島の南にある那智勝浦町のホテル浦島に泊まりました。右には渚館、中央には本館、狼煙山にあるのが山上館、山の裏側には日昇館があります。一泊二食付きで一人当たり14000円ほどですが、9000円のクーポンがついたので、実質二人で19800円でした。那智勝浦町は遠洋マグロの街なので、夕食はマグロ三昧食べ放題です。
ホテルには玄武洞と忘帰洞の二つの巨大洞窟風呂があります。明治に旧紀州藩主が「帰るのを忘れる」と言ったので忘帰洞と名付けられたそうです。お写真は玄武洞でサラブレッドのお気に入りです。玄武洞の方が狭いのですが、源泉掛け流しの湯口から炭酸ガスとともにゴボゴボ乳白色のお湯が出ています。日本でも有数の炭酸泉の一つなのでしょう。露天からは黒潮躍る熊野灘の荒波が見えます。台風でも近づけば白い波濤が露天まで押し寄せ、洞窟は波の轟きで体の真まで波動が伝わってきます。日の出時刻に入れば、ご来光を見ることができます。
ホテル浦島は狼煙山という玄武岩質の半島にあるのですが、山上館のある峰に上ると山成島が見えます。ここは平維盛が入水した地。辞世の句碑があります。
故郷に いかに松風 恨むらん 沈む我が身の 行くしらずば
恨むの漢字は木偏です。高野山で出家して、熊野三山に詣でで彼はここに船でやって来ました。屋島の戦いで敗れた落人は松の木を削ってこの句を記しました。
ここには海の幸があり、豊かな温泉があるのになぜ死を選んだのか。八島で多くの強者達を戦死させてしまった維盛にとっては指揮官としての責任をここでとった形です。平家物語は否応なしに読者を無常の世界に誘います。
狼煙山は半島状の形をしています。これはその先端でナイフリッジの峰が熊野灘に落ち込んでいます。この形はどの半島や奇岩も同じ方向を向いています。ここはフィリピン海プレートと太平洋プレートがユーラシアプレートに向かって落ち込んでいる所です。太平洋プレートが南東方向から落ち込むためにその圧力で玄武岩質の溶岩がせり出て、どの岬も南東方向を向いています。紀伊半島の南部ではどこにでも見られる地形です。橋杭岩や海金剛も同じメカニズムでできた地形と言うことができます。紀伊半島南岸には白浜温泉や勝浦温泉、湯峰温泉、川湯温泉、渡良瀬温泉、龍神温泉など江戸時代の温泉ランキングで横綱よりも上の行司クラスの名だたる温泉があるのは、熊野カルデラの巨大噴火の名残だけでなく、南海トラフのプレート運動から来ているようです。もちろん東南海地震を起こす元凶なのですが、豊かな出湯はこのメカニズムによります。それは人間に災いを起こすのですが、同時に恵みも私たちにもたらします。
孵化したばかりの蝉。体が乾くと補陀洛山寺の境内で鳴き始めました。何とも力強い鳴き声です。成虫になれば短ければ三日、長くても一週間で命を終えます。地上に出ると言うことは、終活に入ると言うことであり、次の世代に命を繋ぐ一週間でもあります。ひたすら鳴き続けます。この世ではすべてのものが絶えず移り変わり、留まるところがない。無常であることを告げているかのようです。それは青岸渡寺の御詠歌や読経のようにも聞こえてきます。静かな補陀洛山寺の境内。今日はご住職も不在のようで、いつもなら丁寧な説明をしていただくのですが、今朝はすべてが静謐の中にありました。
熊野は海の幸、豊かな温泉があります。ここに来て聞いて、見て、感じて、触れてみれば日常では発見できない何かがあります。「人はなぜ熊野に向かうのか?」少しだけその答えが見つかりそうな旅でした。




