本宮大社の証誠殿で一人の男が夜を徹して祈っていました。平清盛の嫡男重盛です。平家物語にはこのように書かれています。
忠ならんと欲すれば、孝ならず
孝ならんと欲すれば、忠ならず
南無権現願わくば
「父の専横が止まざる時は重盛の運命縮めて来世の苦輪を助け給え」
と肝胆をくだきて祈念せられば、灯籠の火の粉なる物の大臣の胸より出で
ぱっと消ゆるがごとくして失せにけり
彼は平家の統領でした。しかも後白河法皇に忠誠を誓う身でした。父清盛には親としての誠を尽くしたい、後白河法皇には真心から従いたい。後白河は平家を追討しようとします。清盛は後白河を幽閉しようとします。その狭間で重盛は苦しんでいました。父の勝手な振る舞いが止まらない場合は、自分の命を縮めてもよい。彼の苦悩は奈落の深い淵にありました。彼が祈ったように重盛は亡くなります。灯籠の火の粉のような物が胸から出ては、ぱっと消え失せた。身を粉にした祈りがそのような怪異現象を起こしたのでしょうか。
ここに来るととてつもないパワーを感じます。パワースポットとはよく言ったものです。現在の社は明治の洪水で高台に遷されました。元々は熊野川の中州にありました。跡地は大斎原と呼ばれています。
ここで一枚を撮りました。周りは水田に囲まれ、畦にはねじり草がピンク色の花びらをつけています。真緑の中でピンク色は遠くからも目立ちます。ここを散策する人たち、全部外国人です。「人はなぜ熊野に向かうのか?」そんな素朴な疑問を問いかけてきました。今は、「外国人はなぜ熊野に向かうのか?」と言いたくなります。三分の二が外国人なのですから。どこにひかれて数千キロの海を越えてここまでやってくるのでしょう。そんなに魅せられるのはなぜなのでしょう。
ヨーロッパはもともとエジプトとメソポタミアの文明を混合発酵させた物です。乾燥帯の文化は神と人を別の存在の見なし、絶対化しました。この絶対の存在、絶対者が相対者と相対峙するときそれはすでに相対の存在なのです。神と人を対峙したように、生と死も別のものとしました。
日本では、神は人であり、死と生は繋がっています。神は絶対者である必要はありません。絶対か相対かはどうでもよいことなのです。熊野は隈野、最果ての地です。その隣は黄泉の国です。それを顕現する神社があります。
ここは花窟神社。人類最古の墓があります。伊邪那美命が祭られた社。綱が架けられています。この綱、黄泉の国と現世をつないでいます。黄泉に下った伊弉冉とここに祈りに来る人々を繋いでいるのです。
キリスト教やイスラム教を信奉する世界とは異なった世界がここに広がっています。熊野を訪れる外国人達は、その異質性に惹かれてここ熊野を訪れるようになったのではないでしょうか。もともホモサピエンスにすり込まれた遺伝子が魂の故郷を恋い慕うような魅力があるのでしょう。人は霊場で祈り、温泉に浸り、想いを巡らせます。目を閉じて鎮まれば花窟神社のご神体の岩壁には黒潮の怒濤が響き渡ります。日本人であろうが外国人であろうが、潮騒の響きにもともとあるべき根源をここに見いだすのかも知れません。それは魂の郷愁なのでしょう。
誰もが重盛のような深く厳しい葛藤に対峙しているわけではありません。命を削るような左右奈落の細道を歩んでいるわけではありません。動物は現在しかありません。過去の行いを悔いたり傷ついて現在まで引きずることはありません。未来に不安を感じて思い煩うこともありません。ここに来ると過去を振り返りこれはこれ、あれはあれでよかったのだと。そして、これから来る道程も神仏とともにある。神仏の憐れみの中を歩ませてもらえる。今をよく生きるしかない。死を身近に感じることは、現在をよく生きることに繋がります。唯一絶対の神が私たちに様々な戒律や要求をしてくることもありません。あなたはあなた、ありのままの自分を受け入れてくださる存在を感じることができます。神々は微笑んでいます。岩や草木に宿る仏達は微笑んでいます。
この日、御綱の向こうの空には日輪が架かっていました。珍しい光景です。雨ばかりの日々が続いて、この夕方、天気は晴れへと向かいました。熊野は不思議な地です。日常では考え感じないことがここでは心の中に浮かんできます。それは国を超えて人類の普遍的に求める物がここにあるからなのでしょう。言葉にならなくてもここに来て触れて感じればそれは確かに求めるものがここにあることが分かります。
本宮大社の境内の写真撮影は個人的な記念撮影以外は禁止されています。また、SNSにアップするのは御法度です。1枚目の写真は観光協会の画像をお借りしました。また、大斎原は聖地中の聖地なので撮影は参道の森までで境内の撮影は控えましょう。