和歌山県新宮市の神倉神社からは市街が一望です。遠くの煙突は三重県の紀州製紙。
本宮大社の大斎原。最も聖なる場所の一つです。熊野三山の深奥。
湯ノ峰温泉は熊野詣での巡礼者を受け入れてきました。日本最古の温泉と言われていて、紀伊山地の霊場と参詣径にあり世界遺産の中にある温泉として有名です。
ヤマモモの季節です。口に含めば酸っぱさと甘さが満開になるでしょう。想像しただけで先ず甘さが来て酸っぱさが口中を襲うでしょう。
花窟神社の2月に張られた綱は健在です。それも無傷。よほど上手く縄ないをしたのでしょう。あの世とこの世、女神と祈る人を繋いでいます。
ここをクリックするとこの旅の動画になります。約6分で速玉大社→神倉神社→本宮大社→大斎原→花窟神社を巡礼できます。
今日は熊野三山の速玉大社にやってきました。朱塗りの社が美しいです。ここは縁結びの神様速玉の大神が祭られています。結婚式もここで行われます。境内にあるさざれ石。国華君が代に出てきます。さざれ石は礫岩で堆積してできました。ところが君が代ではさざれ石が巌となります。巌は火山活動でできた火成岩。堆積岩が火成岩になることは非科学的言う人もいますが、これは国が一つにまとまっていくという文学的表現です。境内には千年以上の梛の大木があります。これもご神木で平和を意味します。今ほど平和が希求される時代はないでしょう。
速玉大社から神倉神社に来ました。鳥居をくぐると急峻な石段があります。しかもこの石段形も大きさもいびつでまるで崖を登るようで危険です。お年寄りが石に手をつきながら登っています。途中、ヤマモモの実が参道に落ちています。息を切らしながらほどなくお手水までつきました。こんな山頂近くに水があるとは不思議です。朱塗りの小さな社の上に丸い形をした大きな岩があります。しめ縄が巡らしてあり、ごとびき岩といわれるように蛙の形をしています。ここからは新宮市内が一望です。熊野川を隔てて三重県の紀州製紙の煙突が見えます。正月この急な階段を松明をかざして走り下ります。御燈祭で全国的に有名になりました。
次は湯ノ峰温泉です。ここは老舗の温泉旅館が道路を隔てて建ち並んでいます。どこま源泉掛け流し。湯筒で温泉卵を作ります。湯筒の周りの床は地熱で厚さが靴底に伝わってきます。冬はここにむしろを引いて座っていると天然の床暖房になります。谷川にはつぼ湯があり、世界遺産の中にある露天としては珍しいでしょう。何と言っても湯船は岩をくりぬして底から湧き出る熱泉と谷川の水が混じり合って丁度いいお湯加減になっています。共同浴場は昨年に新築されて檜造りのモダンな造りになりました。それにしても観光客はまばらです。湯ノ峰温泉に入ると体が生まれ変わってようにリフレッシュされます。何と言っても毒を盛られた瀕死の小栗判官がこのお湯で蘇ったのですから。
湯ノ峰温泉を後にして本宮大社に来ました。急な石段が続きますが神倉神社と比べれば楽勝です。門からは記念撮影以外は禁止されていて、SNSなどにアップするのはダメです。なので撮影はここまで。真っ黒な郵便ポストがあります。全国ではここだけでしょう。もちろん八咫烏の黒です。木の葉書が売っています。ここで投函すると記念スタンプが押されます。尾長がすいたので近くの食堂で日替わり定食をいただきました。丁寧に作ってあり美味しいです。
大斎原に来ました。ここはかって本宮大社がありました。川の中州にあり、明治の洪水で流され、今の小高い所に社が映されました。長い石畳の参道を歩いて行くと大鳥居があります。巨大です。そこから檜の大木に囲まれた境内に入っていきます。和歌山は紀の国と言われていたように、まさしく木で覆われた地なのでしょう。ここはもっとも聖なる場所で境内は撮影禁止です。それにしても外国人の多いこと。三分の二は外国人で三分の一が日本人です。「人はなぜ熊野に向かうのか。」今は、「外国人はなぜ熊野に向かうのか。」 と言いたくなります。
ここから花窟神社に参りました。伊邪那美命が祭られています。2月に張られた綱はまだ朽ちていません。この綱があの世とこの世を繋いでいます。ご神体の垂直の岩壁には純白のハマユウの花が咲くのですが、まだ夏が始まったばかり。女神に捧げられた大輪が咲くには少し季節は早いようです。真夏にはひんやりとした境内にクロアゲハが舞い飛びます。女神の社には一番の季節です。熊野三山の那智大社を残して一泊二日の旅は終わりました。




