藤の花。今年も咲きました。毎年豪華になっています。その代わりに藤の蔓も年々太くなって宿られている木は重たそう。
ヒメジオンも咲いてきました。これからいっぱい咲いて群落を作ることでしょう。ハルジオンとの違いが分かりません。それよりもこの花がヒメと名付けられたのは、どこにお姫様のイメージがあったのでしょう。これを名付けた人の思いを知りたくなりました。
今が見頃。と言っても花の名前は分かりません。一面がこの花たちに覆われています。春風に靡く姿はまるで大海原のよう。今日は西風が強いので波のように靡きます。
ヘビイチゴが実をつけました。食べても酸っぱくも甘くもありません。
グレープヒヤシンス。だれがここに球根を植えたのでしょうか。手入れもしないのに毎年ここに咲きます。
道ばたに咲くタンポポ。空高く綿毛を伸ばして風が吹けば綿帽子が舞い散ります。なぜか今日はしっかり茎についていて一本たりとも風に飛んでいきません。
藤の花の向こうには寒椿。椿の林に入ると寒々としています。春爛漫なのに椿林の陰は冬のよう。こんなに春なのに、冬みたいな陰もあります。
大輪の黄色タンポポ。冬の枯れ野に咲いていましたが、今は大輪です。
シジミチョウ。周りにはミツバチやモンキチョウにモンシロチョウも飛んでいます。もう春そのもの。
立梅用水の傍に乗り出すように咲いている白い花。白い花と言えば卯の花を思い浮かべます。
卯の花に 兼房見ゆる 白髪かな
この句は松尾芭蕉の「奥の細道」に登場します。曽良が平泉で詠んだ一句。忠臣兼房は義経が最後に迎えるとき、火に飛び込んで死をともにしたと言います。卯の花に歳を重ねた忠臣兼房の白髪を連想したのでしょう。
卯の花が咲くのはは夏。江戸時代初期、地球は小氷河期を迎えていて夏も寒々としていました。奥の細道の夏は4月の日差しでしょう。マウンダーミニマムを生きた俳人達は寒い夏を送っていたことでしょう。
主君とともに死を共有する。忠信とはどんなことなのでしょう。どこまでも真心を尽くすこと。兼房の1日1日はまるで芸術のように暮らしていたのかも。それは、芭蕉が遊びの俳句を俳諧という芸術まで高めたような崇高な暮らしぶりだったのでしょう。自分の生活を見ても、何気ない一日にも一瞬でも凛としたものがあるといいのですが。