紀伊半島は熊野市から御浜町までなだらかな海岸線が30kmほど続いています。その名の通り七里御浜。ここまで来ると和歌山県新宮市にある熊野三山の一つ速玉大社までもう少し。美しい海岸線をたどれば、一日の行程。熊野灘の黒潮の波で洗われた玉砂利を踏んでいけば楽勝に目的地まで到着します。
しかし、ここを行く人はいません。一つの道標があります。右に迂回しなさいと言う警告。わざわざ海岸線の美しい景色を避けるのでしょうか。この美しい玉砂利の海岸は一度海にさらわれると二度とこの世に帰ることはありません。海は一気に深くなり、波が海の底に沈んでいるのです。なので、海に落ちようものなら体は海底深くに引き込まれてしまいます。美しさの裏腹に大変危険な海なのです。
それにしても宝石のように磨かれた小石。チャートや花崗岩や那智黒石、火成岩もあれば、堆積岩もあり、水成岩もあります。ありとあらゆる石が渾然一体にここに打ち上げられます。
熊野は「隈野」世界の果ての地です。その隣は黄泉の国。ここはすべての者を産んだ母なる伊弉冉が亡くなった地です。伊弉諾はここに妻の墓を建てました。この画像を見ると一本の綱が地上からご神体の岩の上まで架けられているのが分かります。この世とあの世を繋ぐ一本の綱なのです。十月と二月にこの綱は、御綱渡り神事として架け替えられます。昨年十月に架けられた綱が見事に残っています。今度は2月2日なので、また真新しいお綱がはられるのでしょう。
女神のご神体の窟なので御綱には花が飾られています。華道を究めようとする女性達がここに祈りに来ます。夏には絶壁に純白のハマユウが咲くのですが、それは見事です。今は境内に寒椿が咲いています。白いちぎれ雲が忙しく靡いていきます。世界遺産紀伊半島の霊場と参詣径に指定されるまでは、参拝者もまばらでした。今日も三が日と言うこともあって参拝者はかなりのもの。
それにしても皆さん、熱心にお祈りを捧げています。当の自分は祈る気にはなれません。広く世界を見渡しても、日本の近海を見ても、身近な出来事を見ても無力になってしまいます。それでも、無心に目を閉じて、しばらくじっとしていました。自分の願いを祈るよりも、もっと大事なもっと大きなものがあるのではないかと・・・
何かもやもやしたものを感じながら、考えました。世の中が七里御浜の小石のようになればいいのに。熊野灘の黒潮に磨かれて角張っていた石が宝石のようにつるつるになります。しかも、珊瑚礁で生まれた石も、熊野川や熊野の渓谷から流れ落ちた石も、生まれの全く異なる石がここに流れ着いて一つに集まっています。世の中がこんな世界になればいいのにと。
あまりいいニュースを聞くことが少なくなった昨今、今年こそいいことがありますように。
七里御浜で玉砂利を踏みながら海岸線に出ると日が傾き始めました。家族が波打ち際で波と追いかけっこをしています。やがて日が低くなり、人影がシルエットになりました。この人達がいつまでも仲良く幸せであったらと・・・自分には何の関係もないのに心底そう思いました。