今日はイースター イースターエッグは食べましたか? | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 

 イエスは生前から十字架につけられた後、三日目に死人のうちよりよみがえると預言していました。墓を塞ぐ大きな石、どうしてよけようかとマルタやマリアは亡骸に香油を塗るため墓地にやって来ました。マルコによる福音書ではこんな記述があります。

  安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスをj捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
 イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
 その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。


 一週間、キリストの受難の日々を見てきましたが、福音記者が語る記事は読む私たちの心に迫ってきます。一日一日、キリストの受難がどのように進んでいったのか、人々はどう動いたのか。ローマの権力者の思惑、ユダヤの指導者や群衆の心理が鮮やかに記されています。

 今日はイースター、復活祭です。キリストが十字架で死んでから3日目に墓からよみがえったというキリスト教ではクリスマスとともに大切な祭です。いったいキリストに倣って生涯を貫いた人たちは、どんな生き方を選んだのでしょうか。
 

 16世紀にザビエルがキリスト教を伝えました。時の権力者はキリストを信じる人たちを迫害しました。ある人は二十六聖人のように教えに従い死を選びました。ある人は、信仰を隠して信教の自由が認められるまで潜伏しました。長崎の大浦天主堂でプチャジン神父が潜伏キリシタンを発見したのは、まさしくキリストの復活と同じような出来事でした。三百年もの時を超えて彼らは信仰を守り通しました。

 

 第二次世界大戦中の1941年7月、コルベ神父が収容されていたアウシュビッツ収容所で脱走が起こりました。連帯責任で10人が飢餓室の刑になりました。10人に選ばれた一人が、私には妻子があり死ぬことはできないと叫びました。コルベ神父は、私は神父で妻子もないので自分が飢餓室に行くと申し出ました。彼は、自分のパンを男の人に渡して、飢餓室に向かいます。飢餓室の刑は悲惨です。錯乱して泣き叫び、地獄の様相です。急に理不尽な死を言い渡されたのですから、死を受け入れる意味を見つけることはできません。人格は崩壊し、脱糞します。

 しかし、神父は死にゆく人々を励まし、飢餓室はまるで聖堂のようで、祈りと神をたたえる歌が聞こえていました。8人の受刑者は父の御許に安らかに旅立っていきました。残された2人は、腕に注射をされて最後の時を迎えました。神父の最後は壁に寄り添い、左上を見ながら美しいお顔であったといいます。後に神父は聖人として列聖されることになります。

 

 1954年9月26日、一隻の青函連絡船が津軽海峡を航行していました。洞爺丸台風が海峡を通過していきました。連絡船は沈没し、1155名が犠牲になりました。その中にアルフレッド・ラッセル宣教師が乗っていました。彼は、日本人に自分の救命胴衣を渡し、自分の命を彼に預けました。一粒の麦が地に落ちれば、多くの実をみのらせます。後に宣教師の娘は、この海峡に立ち、父がなぜ身代わりに嵐の海に沈んだのか自問したといいます。神は答えません。いつも神の答えは沈黙です。やがて、その沈黙こそが彼女の信仰をよみがえらせます。

 

 平成13年1月26日、山手線新大久保駅で泥酔した男性がプラットホームから線路に転落しました。男性を救助しようとして線路に飛び降りた日本人のカメラマンと韓国人留学生が、進入してきた列車にはねられ全員死亡しました。

 自分の命を差し出したこの事件は、キリストが行った行為とよく似ています。事実韓国人留学生はキリスト者でした。当時のマスコミは美談として広く伝えました。しかし、カメラマンの母は、「そっとしておいてほしい、美談であっても息子が死んだことには変わりがない」と数年後に独りで亡くなりました。当時の天皇(今の上皇様)は韓国人留学生の両親を招待してお言葉を掛けられました。

 このような行動を心理の世界では、「愛他行動」と呼んでいます。自分の命に代えてでも相手の命を守るために行動を起こすことがあります。この愛他行動、人間だけに備わっていると思いがちですが、哺乳類だけでなく鳥類も、それどころか昆虫にも愛他行動が見受けられます。見返りを求めない愛が、他の生物にも備わっている。創造主は、ひょっとしたら等しくすべての生命のDNAに身代わりの愛をすり込ませたのかも知れません。地球という惑星に息づいた生命が自分の命に代えてでも、他の命を守ろうとするメカニズムが組み込まれているなんて素敵なことです。 

 

 夏の朝早く二十六聖人の丘に登ったことがあります。坂を過ぎると聖人達のレリーフが目に入ってきます。パウロ三木が涙を流しています。聖フィリッポ教会の十字架に朝日が差して赤く染まりました。三木の涙は朝露が結露した物なのかも知れません。しかし、確かにまぶたから涙が流れているのです。この光景を見た人が他にもいることを知りました。彼の涙は朝日に金剛石のように光っていました。彼の涙は何を伝えようとしているのでしょうか。何を語ろうとしているのでしょうか。

 

 ザビエル研究のドイツの神学者ゲオルグ・シュールハンマー先生が語った言葉があります。彼は、あらゆる史料を読破し、ザビエルの奇跡を否定していきました。聖人として認定されるには、信仰やその生涯が信徒の模範になることだけでなく、奇跡を起こしている証拠が必要になります。神学者なら奇跡の証拠を見つけたいはずです。しかし、かの神学者は徹底的な史料吟味から科学の目でザビエルを見ようとしました。

 周囲の学者達は、「そんなにすべてを否定していったい彼(ザビエルのこと)に何が残るのですか」と問いただしたといいます。シュールハンマー師は短く答えました。「聖人だけが残る」。その返答に周囲は沈黙したといいます。キリストの復活もそのようなことなのでしょう。否定からは何も生まれません。たとえ、すべてを否定しても「復活」は残るのです。

 

 神は今朝も沈黙します。世の中でどんなことが起ころうとも、神はいつも黙して語りません。あるときは、その静けさに消沈し深さを測れないような心の闇を見ることがあるかも知れません。神様なんていないとつぶやいてしまうかも知れません。しかし、その沈黙はやがて光になります。光は闇に必ず打ち勝ちます。今朝は、ザビエルが日本にキリスト教を伝えてから471回目のイースターです。沈黙は宇宙創成の無の状態のようなものです。そこから光が生まれ、時間と空間が誕生しました。心静まって目を閉じて耳を澄ませば、新しい世界が見え、新しい声が聞こえてきます。