今日は77年前、戦艦大和がアメリカ軍によって撃沈された日です。詳しいことは、吉田満の「戦艦大和ノ最後」にあります。Amazonの電子本で読むことができます。吉田は終戦を迎え、父親が疎開していた友人吉川英治に促され、一晩でこの作品を描き上げました。1946年、出版しようとGHQの検閲を受け、全文削除となります。出版されたのは日本が独立を果たした昭和27年のことでした。
この作品はノンフィクションではありません。有賀艦長が総員退却を命じたあと、羅針盤にロープを巻き付けて艦とともに沈んでいきますが、実際は航海長が羅針盤に白い布を巻き付けたという証言があります。あくまでも戦記文学です。
下手な解説をするよりも本文を読んでいただいた方が、いいと思うので、三島由紀夫のレビューを紹介します。
いかなる盲信にもせよ、原始的信仰にもせよ、戦艦大和は、拠つて以て人が死に得るところの一個の古い徳目、一個の偉大な道徳的規範の象徴である。その滅亡は、一つの信仰の死である。この死を前に、戦士たちは生の平等な条件と完全な規範の秩序の中に置かれ、かれらの青春ははからずも「絶対」に直面する。この美しさは否定しえない。ある世代は別なものの中にこれを求めたが、作者の世代は戦争の中にそれを求めただけの相違である。
この一文からは、三島由紀夫にとって戦艦大和そのもの、そして、そのときを生きた乗組員達の有り様は金閣寺のような絶対美であったことがうかがえます。帝国海軍が英国不沈戦艦プリンスオブウェールズを空母部隊で撃沈してから、海戦は航空機の時代になりました。しかし、海軍は航空母艦を作るのではなく世界最大の戦艦を建造しました。もちろん戦術面では失策です。それでも、なぜ大和の建造を選んだのか。そして、できあがった戦艦大和は絶対的な美しさを持っていました。それに乗り組んだ若人達も葛藤の渦中にありながらも、自分の置かれた状況に真っ正面から対峙していったのでしょう。片道燃料、援護機なし。そんな中で、未来にどんな教訓を残していくのか。特攻に行くのがどんな意味があるのか。彼らは問い続けたでしょう。
大和は日本魂の完成された徳目であり、道徳的規範の象徴であると、三島は哲学的な考察をしています。大和の沈没は、一隻の戦艦が沈んだのではなく、三島にとっては信じていたことが現実から姿を消したことでした。そのよりどころをなくしたとき、人は何をよりどころに生きるのか。三島は自衛隊駐屯地で国を憂えて訴えました。隊員達はそれに沈黙しました。駐屯地で割腹自決したのは、今を生きる私たちに何を伝えたかったのでしょう。
ヒマワリが咲き、地平線まで小麦畑の欧州の地で、大量虐殺が行われています。三島が今を生きていたらどんなメッセージを送るのでしょうか。彼はどんな行動に出るのでしょうか。
大和、1945年4月7日14時23分、沈没。北緯30度43分、東経128度4分、水深345mの海に沈んでいます。3332名のうち生還したのは、276名でした。
この出来事は、今日を生きる私たちにどんなメッセージを送っているのでしょうか。3332名の人たちは何を伝えようとしているのでしょうか。今日の14:23、心を鎮めてその意味を深く考えたいと思います。
映画「男達の大和」は、吉田満の記事を参考に制作されました。YouTubeムービーやAppleTVで見ることができます。2005年、戦後五十年を記念してつくられたこの作品は映画史上の一つの金字塔です。ラストシーンは、長渕剛さんの「Close you eyes」です。この作品からは、戦争とは、平和とは、生きることとは、死ぬこととは。様々なことが否応なしに問いかけられる作品になっています。