世の中に絶えて桜のなかりせば・・・ | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 三重県松阪市飯南町には稲荷山公園があり、桜の名所になっています。今から半世紀ほど前にソメヨシノを地元の人たちが植えました。桜のトンネルを抜けて長い石段を上っていくと社が見えてきます。子供たちは春休みなのでブランコで遊んでいるのが見えます。

 

 

 伊勢三山の白猪山の麓には日本の棚田百選の深野の棚田が見えてきます。花崗岩の石垣は石の芸術と呼ばれています。ここは日本にある古くからの素朴な信仰が根付いている所です。稲荷山の下には田畑が広がっています。神は春に里に下りてきて豊穣を約束してくれます。秋には新穀を召し上がっていただき、里人の感謝を受けて山に帰られます。山眠り、山凍る冬。山に入ることは許されません。神々が眠る峰々に入ることは、安らかな眠りを妨げることになります。

 厳冬の季節、桜は寒さと強風にひたすら耐えています。桜の木の皮は桜色に染まります。桜の木は木全体で桜色になっているのです。それが春風と温かい雨とともに冬に充填されたパワーが一気に爆発して桜色の花びらに変わります。それを古代の人たちは、「萌えいづる」と表現しました。 

 

 寒かった冬は終わり、温かい春が来ます。神々は里に下りられ人とともに暮らされます。すべてが喜びに満ちた季節の到来です。いかに時代が変わろうと、桜はここに咲き続けるでしょう。そして、春の到来とともに神々は里に降臨し、豊穣とともに秋には山に帰られる。そんな神々と人々の営みが繰り返し繰り返し続けられていくのでしょう。 

 

 どうしたらこの美しさを描けるのでしょう。今日はカメラでは無理です。それなら言葉で表現するしかありません。梅から始まり、桃が咲き、桜と続きます。梅は一つの花芽から一つの花が咲きます。桜は一つの花芽からいっぱい花をつけるので豪華です。私は桃が好きですけど。桜と言えば、伊勢物語に登場する在原業平が桜をこのように詠っています。

 

  世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 

 

 この世界にまったく桜がなかったら、春の心はのどかなものになったでしょうに。宴会の中で、藤原氏の繁栄を願う歌を求められて詠みました。業平は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていました。皇太子のなるのもまもなくです。そうなれば、大臣の座も見えてきます。そのとき、藤原良房の娘が惟仁親王を産みました。文徳天皇はわずか8歳の惟仁親王を皇太子にしてしまいます。業平の将来は一気に閉ざされてしまいました。 

 自分の未来を奪った藤原氏の繁栄を歌にしなければならない。夢なのか現なのか、あり得ないことが現実には起こっています。その激しい葛藤の中で、業平は桜の美しさから一歩身を引いて、この一句を詠みました。桜の美しさや春爛漫そのものを詠めば、千年の時を超えて、この歌は残らなかったでしょう。 

 それは深い深い漆黒の地中の中で純粋に透明に結晶した貴石のようなものです。遙かなる時空を超えて、業平の31音は今を生きる私たちの心に直に伝わってきます。それは失意の中でなお今を生きようとするひたむきな心なのかもしれません。そんな人の営みを知らないで、今日も桜は美しく咲いています。 

 

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