梁塵秘抄には、こんな歌が詠まれています。
熊野へまいるは 紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し 広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も遠からず
京の都から熊野に参詣するには、和歌山ルートか伊勢ルートがどちらが近くて遠いだろうか。熊野権現の広くて憐れみの深い道だから、どちらも遠くはないだろう。そんな意味の歌なのでしょう。今は電車も車もありますが、当時は命の危険もありました。事実参詣径には巡礼者の塚があります。それでも神仏の慈悲は今と変わらなかったことでしょう。
「なぜ人は熊野に向かうのか。」をそんな素朴な疑問が生まれます。神仏の慈悲もそうですが、自然の美しさや温泉の恵み、とりわけ海の幸・山の幸、食材の豊かさには驚かされます。鯛・鰤・熊野牛・猪・鮎など、これでもかと食卓に上ります。迎える人たちのおもてなしの心なのでしょう。それは世界遺産に指定されたからと言うよりも、広大慈悲の神の路や自然・食材の豊かさ、温泉などの自然の恵み、それらが渾然一体になり、おもてなしの心に裏打ちされた迎える人たちの温かさがあります。ホテルの人たちが喜んでもてなしてくれる。それが自然に出ている。それはちょうど、川からわき出る温泉のぬくもりのように感じられました。「悠久の時が流れる熊野」熊野とは、「くまの」のこと。地の果てを表します。その隣は「よみのくに」つまりあの世です。そんな地だからこそ、ここを訪れる人は本来の自分を発見したり、新しい自分を見つけることができるのでしょう。パワースポットとは、身も心も魂も新しくしてくれるそんな所なのでしょう。
今日は花窟神社に来ました。ここは最古の墓があります。伊弉諾尊は伊弉冉尊を探しに黄泉の国に来ました。すると妻イザナミの体はウジでむしばまれ、夫のイザナギを追いかけてきました。彼は這々の体で黄泉の国から脱出しこの世に帰りました。イザナギは妻のためにここ熊野に妻の墓を祭りました。これが花窟神社です。いつもならご神体の垂直の岸壁に熊野灘の荒波が怒濤のように聞こえるのですが、今日は波も凪いでいて何も聞こえません。やはり波濤や潮騒が聞こえるのがいいです。一番似つかわしい季節は夏でしょう。岸壁には純白のハマユウが咲いています。薄暗い境内には涼しい風が吹いて大きなクロアゲハが何羽も飛んでいます。女神に捧げられたお墓にはハマユウとクロアゲハが似合います。2月2日のお綱曳き神事が間近なので空から渡した綱はすでに綱は朽ちてありません。お綱は黄泉と現世をつないでいるのでしょう。今日も参詣者が何人かいます。花の岩屋神社と呼ばれるように華道を極めようとする方々がよく参拝されます。花の道だけでなく広く芸術関係の方もいらっしゃるようです。黄泉と現世をつなぐ熊野、地の果てに来ると言うことは死を間近に感じ、そこからまた現世に戻っていく。よく死ぬことは、よく生きることにつながっているのでしょう。「人はなぜ熊野に向かうのか?」少しだけその解答に近づいたような気がします。
ドローンはこの花窟神社を出て獅子岩に向かいます。獅子岩は地上から見ると確かに熊野灘にライオンが吠えてるように見えますが、ドローンからはゴリラのようにも見えます。岩が朽ちていて崩落しているのが目立ちます。ここが熊野市の中心街です。さらに方向を変えて七里御浜海岸を南下します。熊野古道の伊勢路ルートもいよいよゴールが近づきました。熊野三山の速玉大社・那智大社・本宮大社までもう少しです。海岸通りを通っていけば楽勝。ところが道標は右に行けと書いてあります。美しい七里御浜、ここは大きな川がないため砂の供給がないためにいきなり深い海の底になっています。海に落ちたら荒波が人を海の底まで連れ去ります。ゴール寸前で何人の巡礼者が亡くなっていることでしょう。
七里御浜には熊野灘の荒波で磨かれた丸い石しかありません。表面はなめらかでつるつるです。漆黒の那智黒石や赤茶色のチャートに縞模様が入った堆積岩に砂岩など様々な色の生まれの異なった石が一緒に転がっています。これが世の中だったら何となめらかで様々な個性のある人が一緒に仲良く暮らしていることか。イザナミの女神も世の中が穏やかになること願っていらっしゃることでしょう。ドローンは速玉大社や神倉神社、那智の大滝、本宮まで飛びたいのですが、今日はここで着陸です。
今日の波は穏やかです。といっても黒潮躍る熊野灘、大泊の町にも波頭が立っています。
HUBSAN ZINO MINI PRO で七里御浜を空撮してみました。ナレーション入りです。