戦国大名蒲生氏郷が築城した松阪城にやって来た。今は堀が埋められているが、それがなくても攻める気が失せてしまう石垣の高さ。
たとえ城内に入ってもトリップが何重にも仕掛けられていて本丸までは行き着けない。
城主の蒲生氏郷はキリシタン大名だが、様々な寺社に祈祷のお願いをしており、氏郷祈願所が残っている。鉄砲など南蛮貿易を有利にするためで本当にキリスト教の信仰があったかは分からない。少なくとも高山右近のように最後まで信仰を守った人々とは一線を画している。
氏郷は築城の名手でここでの功績を認められ会津に転封されている。現在の松阪市の都市計画は氏郷の功績による物が多い。また、商工業を興し、松阪商人が松阪木綿を江戸に広めた。三井六右衛門高利は越後屋の創始者でここが三井家発祥の地。彼は、江戸で掛け値無しで、しかも仕立て上がりで着物を売った。それまでは商人と客が値引き合戦をし、反物で売っていたが、面倒な商談が省ける上に自分で着物を仕立てなくてもいいようになった。もし、高利がいなければ、今でもスーツもドレスも自分でデザインして縫い上げなければならなかったかも。
「越後屋、お主も悪よの!」「お代官様こそ」の台詞があるが、高利はいたって真面目な商売をして不正は働かなかった。高利はもともと越後国の武士で質実剛健な気質は商人になっても変わらなかった。
松阪城からの眺望は北東方面に開けている。南側は樹木が大きくなって眺望は望めない。伊勢三山の堀坂山が見える。その右には観音岳、そして、風力発電施設のある青山高原が見える。冬の風が強い日には雪をいただいた鈴鹿山脈が見える。
松阪市の隠れたパワースポット観音岳。確かに観音菩薩が伏せってみえる。丹精な鼻の形や眉毛まであるのでびっくり! 西方にあり、夕陽が沈むと後光が差すとますます神々しいお姿になる。
お城の日陰にやって来た。寒さが身にしみる。葉脈だけが残った葉っぱを見つけた。まるで木枯らしが吹きさらしたような一枚の葉っぱ。楓の木が種をつけてひらひら舞いながら落ちていく。落葉の季節が始まったのだ。