朝露に 咲きすさびたる 月草の 日くたつなへに 消ぬべく思ほゆ
万葉集にはこんな一首が残っています。読み人知らずなので、誰が詠んだのかは分かりません。朝露を浴びて咲いていた月草(ツユクサのこと)が、日が暮れるにつれてしぼんでいくように、あなたを待っている私の心も消え入りそうになります。こんな意味なのでしょうか。
いったいどれだけ人を待っているのでしょう。万葉集では宵から夜明けまで全身が露に濡れてしまうまで待っているという激しい想いの一句を見つけることができます。時間を忘れてひたすら待ちに待つ。朝に咲いて、夕にしぼむツユクサのように、大きく膨らんだ想いは消え入りそうになっている。
ツユクサは歳時記では8月の季語です。過ぎ去った夏の思い出なのでしょうか。それとも今、起こりつつある心の力動を詠んだものなのでしょうか。もちろんこれは短歌。万葉集なので、今、詠み手の心に起こりつつあること。逢える歓喜で心が満たされていたのに、逢えない失望のどん底へと落とされていく心の有り様を詠んだものです。読み人知らずが31音に定着した言葉は、1250年の時空を越えて、現代の私たちに今起こりつつあるかのようによみがえりました。
ツユクサの隣にネゴじゃらしが咲いていました。畑に白と黒の二毛猫が寝転んでいます。じゃらそうとしたけど、一向に寄ってきません。殺気を感じたのか、そそくさと茂みに消えていきました。残念!