6月の初め、もうヤマユリが咲いているかと思い、鄙びた山間に来ました。谷川の澄んだ水を棚田に引き入れている音がします。
梅雨の合間とあって夏のような暑さ。春に下刈りをするのでここには百合が咲きます。草刈りをしなければ笹に覆われて百合は咲くことができません。人間の手が入るから、今を咲いています。
スイカズラも花をつけました。暑くて汗が噴き出してきます。それでも木陰に入れば涼しさを感じます。
シロツメ草の花があちこちに咲いています。どうしてかここだけは緑やオレンジ色が入っています。どうしたのでしょう?
アザミも咲いています。夏だから咲きます。紫が周りの緑に映えて美しい。
百合と言えば万葉集に坂上郎女が呼んだ一首があります。
夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ
夏の野原の茂みに咲くヒメユリのように、人に知られない恋ほど苦しいものはない。一面は真緑に囲まれています。その中にひっそりと咲く一輪のヒメユリ。茂みだから人に咲いているのさえ知られることはありません。そのように人に知らえぬ恋ほど苦しいものはない。
万葉時代の歌人はどの人も単刀直入に想いを三十一音に表現します。郎女はいったいどんな思いを心に抱いているのでしょう。人は大切なものを失うとき寂しさを覚えます。寂しいというのは、一過性のものでそんなに大きなものではありません。それがもっと大切なものであり、時間が長引くと悲しくなります。悲しさよりももっと大切な存在であり、それが終わるともなく続くとそれは苦しさに変わります。寂しさ、悲しさ、苦しさは人が抱く感情の一つの系譜なのです。
郎女が持っている感情は、「人に知られない恋ほど苦しいものはない」と詠んでいるのですから、苦しさの中でも最大のものなのでしょう。人に知られ得ない恋とはどんなものなのでしょう。片思いなのか、ゆるされない恋なのか。万葉集が成立したのは783年の延暦2年のことでした。いずれにしても郎女の激しい思いが1200年の時を超えて、今、起こっているかのように激しく伝わってくるのはなぜでしょうか。