今朝はどうしたのでしょう。
朝起きてみると空がありません。
東の赤い朝日もありません。
棚田の水面を吹き渡っていく風の足跡もありません。
すべてが止まっているのです。
音もありません。
この景色を見ていると気づきました。
ここには上も下もありません。
すると右も左も分からなくなってきました。
上も下も、下も上も同じ景色なのですから。
棚田の石垣には源平小菊の花
母の日に贈る巨大なブーケのように咲いています
だれが植えたのでしょう
それとも風が種を運んできたのでしょうか
やがて源平小菊の花束は空に接しています
松尾芭蕉は、長野県千曲市にある姨捨の棚田でこんな句を詠んでいます。
おもかげや 姨ひとりなく 月の友
江戸時代には地域によっては、ある年齢に来ると老人を口減らしのために山に捨てる制度がありました。姥捨山を訪れてみると山も棚田もしみじみと趣深く、満月の光も美しい。この月を眺めていると独りで泣いていた老女の姿が目に浮かんできて何とももの悲しい。今夜はそれを偲んで月を友にしょう。
芭蕉は太陽活動が低調になり全国各地で冷害が起こり、飢饉の時代を生きた俳人です。マウンダーミニマムの詩人松尾芭蕉。江戸から故郷伊勢国上野を旅したとき骸骨が道に転がっていました。野ざらし紀行でその様子が出てきます。姨捨も太陽活動の気まぐれが引き起こした惨事です。芭蕉の最後に行き着いた「わびさび」の境地は、彼が生きた気候風土と切り離して考えることはできません。姨捨が伝説ではなく、現にそれがあること、起こっていること、姨の嘆きはどんなに深いものであったことでしょう。芭蕉は姨の嘆きを自分が今、心の中で起こっているかのように感じ、姨が見たであろう月を一夜の友にしたのでした。