緑が濃くなってきました。藤の花がきれいです。
もう鯉のぼりを揚げています。端午の節句も近づいています。
茶畑も真緑になり、新茶の刈り取りもまもなく。空が広いです。
野原には花がいっぱい。ハルジオンのまわりにはレンゲソウが咲いています。
レンゲソウを撮ると輝いているように見えます。花から光りが出ているような感じ。
藤の花で有名なのは正岡子規の短歌でしょう。
瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり
これは「墨汁一滴」に出てくる一句で、藤を詠っています。瓶に藤の花房が差してあるのでしよう。その房が短いので畳の上に届かない。見たままの三十一音です。なぜか視線が低いことに気づかれた方もおられるでしょう。子規は六年間結核で伏せっていました。亡くなる前年の歌です。この頃にはもう寝返りさえ打つことはできませんでした。
この句には様々な解釈がつけられています。瓶を鶴亀のカメと掛詞を使っているとか、藤を不死に掛けているとか。このときの子規ならそんな技巧を凝らす必要はなかったでしょう。子規の目は、瓶の水を勢いよく吸い上げ美しく咲いている藤の一房を三十一音に切り取っただけなのでしよう。藤の房が畳に届かないので、命の短さを暗示しているとか、そんな読み込みはしないほうがよいと思います。深緑の中であでやかに勢いよく咲く藤の花の房の美しさ。その一点に焦点を当てただけの句です。
それにしてもこの三十一音からは命の息吹がどこからか伝わってきます。それは死に瀕した子規の透徹した網膜に映った画像なのでしよう。その美しい瞬間を三十一音に定着した。その言葉は、藤の花が咲く季節がやってくる度に、この短歌に触れた人の心に毎年のように訪れるでしょう。