今、伊勢物語が面白い! 雪がたくさん降った正月に | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 むかし、男ありけり。わらはより仕うまつりける君、御ぐしおろしたまうてけり。正月にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、つねにはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。むかし仕うまつりし人、俗なる、禅師なる、あまた参り集りて、正月なればことだつとて、大御酒たまひけり。雪こぼすがごとふりて、ひねもすにやまず。みな人酔ひて、雪にふりこめられたり、といてを題にて、歌ありけり。
 思へども 身をしわけねば 目離れせぬ 雪の積るぞ わが心なる
とよめりければ、親王、いといたうあはれがりたまうて、御衣ぬぎてたまへりけり。

 昔、男がおった。幼いときから仕えていた主君が、櫛を下ろされて出家された。正月には必ず参上した。宮仕えしていたので、いつも参るわけにはいかなかった。しかし、もとの気持ちを失わないで参上した。
 昔仕えしていた人が、俗人も僧も、たくさん参上して、正月なのでいつもとちがうことをしようと、御酒をたわまれた。雪がこぼれるほどの勢いで降り、一日中降り止まない。集まった人みなは酔って、雪のために部屋に込められているを題にして歌を詠んだ。

 宮仕えする我が身、惟喬親王様にお仕えする我が身、二つに分けることはできません。この降る雪こそ、私の思いです。
と詠んだので、親王はたいそう感心されて、御衣をくださった。

 



 当時の都の気候は寒冷でした。冬になると雪が降りました。業平は幼い惟喬親王に仕えていましたが、親王は早くに出家され、業平は宮廷に使えるようになっていました。それでも正月だけは親王の元に参上していたようです。その正月、大雪となり、親王の元に集まった人々は帰れなくなってしまいました。それをお題に歌を詠むことになります。
 
私は宮仕えでなかなか参上できませんが、この雪で閉じ込められて今日は親王様にお仕えすることができます。これこそ私の思いです。
 と詠んだので、親王はいたく感じられて衣をくださったというのです。大雪のせいで閉じ込められてしまったので、これは私にとっては好都合です。こうして親王にお仕えできるのですから。
 伊勢物語というと男女の関係ばかりだかと言えば、
男性同士の友情をいくつか描いています。惟喬親王に対する忠誠もその一つです。忠誠と言うよりも友情のようなものでしょうか。業平が魅力あるのは、相手を慮る想いが人一倍強いと言うことです。伊勢物語の著者は、業平の人物像を、フィクションを越えて存在そのものをリアルに描いていると言えるでしょう。

 

 平安時代の文献を読んでいると結構雪が降る記事が出てきます。これは人々が雪を趣深く感じ取った、現代人よりも感性が鋭いからという訳でもありません。この時代は、気候が寒冷で実際に雪深くなることが今よりもはるかに多かったからと考えられます。私たちがいつも見上げてる太陽は、変わらないように思えますが、数百年単位で活動が活発になったり低調になったりします。この太陽活動が低調になる時期をマウンダーミニマムと呼んでいます。直近では1645年から1715年に起こったもので、芭蕉は「野ざらし紀行」を書いています。野ざらしとは、骸骨が野ざらしになっていることを指します。実際に飢饉が頻発し、道ばたには野垂れ死んだ人の骸骨がそのまま放置されました。平安時代、8月に京都で雪が降っています。これは火山活動によるものですが、江戸時代に富士山の宝永噴火もマウンダーミニマムに起こりました。伊勢物語にも太陽活動の陰が背景にあるとは、これまた面白いことです。太陽は11.5年周期で活発なときと低調なときを繰り返していますが、2000年以降は低調な時期が続いています。400年前に起こったマウンダーミニマム、ひよっとしたら次のマウンダーミニマムの兆しなのか知れません。そうなると2035年ころから小さな氷河期がやってくるかも知れません。地球が温暖化しているので、顕著なデータは出ていませんが、いずれにしても太陽の活動は私たちの命に直結しているのでこれからも注視していく必要があるでしょう。