なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国とのなかにいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守、「はや船に乗れ、日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見しらず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
名にしおはば いざ言問はむ みやこどり わが思ふ人は ありやなしやと
とよめりければ、船こぞりて泣きにけり。
なお東国へ行って、武蔵の国と下総の国との中に大変大きな河がある。それを隅田河という。その河のほとりに集まって座って、思いやれば、限りなく遠くへ来たものだなあ、と侘しく思って、渡守が「早く船に乗れ。日が暮れてしまう」というので、乗って隅田川を渡ろうとしたところ、皆が侘しい気持ちになり、京に思う人がいないわけではない。そんな時、白い鳥が、嘴と足が赤く、鴫の大きさの鳥が水の上に遊びながら魚を食べていた。京には見えない鳥なので、皆も鳥の名を知らない。渡守に聞くと「これこそ都鳥」と言うのを聞いて、
都鳥という名を持つなら、さあ聞いてみよう。私の愛する人は元気でいるかどうか。
と詠んだので、船にいる人はこぞって泣いたという。
この業平、女性を家から連れ出しておんぶをして20kmも逃げてきました。追っ手はやって来て業平は女性を置いてさらに逃げることになります。やって来たのは埼玉と千葉にある隅田川。京都からここまでは450km以上あります。遠くまで来たものです。業平、自分はこの世に用のない者だと決めて、東国への逃避行を続けます。愛する人を失ったら、自分の存在価値も失ってしまうものなのでしょうか。そこに渡があり船に乗ります。このとき歌を二首詠んで同船する人たちはもうすでに涙涙。そんなとき川で都鳥が魚を捕っています。渡し守が「これが都鳥なんですよ」と聞いて業平は一首を詠みます。
都鳥という名を持っているなら、私の愛する人を知っているだろう。今でも元気でいるのか、どうなのか。
平安時代、武蔵国も下総国も鄙びたところです。ど田舎と言っていいでしょう。だいたい征夷大将軍坂上田村麻呂を陸奥に遣わして、蝦夷を征服しようとした時代です。ひなびたところでみやびを詠んだ業平。どこまでも風流な御仁です。業平の逃避行、これからどうなるのでしょう?