早くも天の川は西の空に退いて、木星や土星も西に傾きかけています。その代わりに十三夜の月と火星が昇ってきました。
月を愛でると言えば何と言っても仲秋の名月ですが、名月の次の十三夜は今年収穫した作物を備えて月のお祭りをしたようです。さらに今月は満月が二回あるというブルームーンです。31日が満月なので見逃せません。
十三夜は十五夜が中国伝来の風習であるのに対し、十三夜は日本で始まった風習です。十五夜では月の神様に豊作を願います。十三夜は秋の収穫に感謝しながら、美しい月を愛でるのです。
十三夜は、十五夜の次に美しいとされています。醍醐天皇が、月見の宴を催し歌を詠んだのが、十三夜の月見の始まりです。平安時代後期の書物に明月の宴が催されたことが記され、宇多天皇が「今夜の名月は並ぶものがないほど優れている」と詠みました。原文では「無双」とありますから、一つとない美しさだったのでしょう。十五夜と十三夜、十日夜が全て晴天に恵まれると、縁起が良いと言われています。十五夜と十三夜を見ると運気がアップするのでぜひ今夜は月見をしましょう。
後撰和歌集には
秋の夜の 月の光は きよけれど 人の心の 隈は照らさず
とあります。秋の夜の月の光は美しいけれど、人の心の隅までは照らさない。もし月の光で人の心の隅さえも照らし出されたら返って困るでしょう。それでも、心を寄せる人がどんな想いでいるのか、青い月の光で心の片隅を見たいものです。逆に月の光に自分の心の片隅を照らしてもらって、お相手に見てもらいたくもなります。同じ想いなら自分の気持ちを伝えるでしょうし、そうでないなら時を待つか、場合によっては忍ぶことも。
当時の夜は漆黒の空に月が昇ります。山の端から出る十三夜は、それはそれは美しい光景だったでしょう。山の端を目をこらして見ると一本一本の木の影からまばゆいばかりの月が出てきます。エンタも何もない時代に月に対する憧憬は夜も光の中に暮らしている現代人とはまったく違ったものだったでしょう。
後撰和歌集は前書きがないためいつ成立したのかは分かっていません。もちろん紀貫之や伊勢が活躍した時代ですから平安時代後期です。古今和歌集から40年は経っているので、村上天皇もそろそろ勅撰和歌集をとお考えになったのでしょう。31音の短い調べは、今宵今正に詠まれたかのように私たちの心に直接伝わってきます。
12cmの瞳から見た月は、平安時代の人が見たらどんな風に見えるのでしようか。月には意外に水が含まれていることが月探査衛星から分かってきました。しかも、日光が当たりにくい場所だけでなく、太陽に照らされている部分からも水の存在が確認されています。ジャイアントインパクトによって生まれた月。やはり地球とよく似た成分でできているというのです。


