三重県松阪市には「星合」という地名があります。「ほしあい」とは漢字のように星と星が出逢うこと、その星とは天の川を隔てた織り姫と彦星のことです。七夕様は7月7日に人々が願い事を短冊に書いて笹の葉につるし、星にお祈りする行事です。晴れれば、天の川を渡って2人は会うことができます。しかし、雨が降れば天の川が増水して会うことができません。そのとき鵲が飛んできて橋を架け、2人は会うことができます。
ここには古くから七夕伝説があり、波氐(はて)神社には多奈波多姫(たなばたひめ」が祭られています。奈良時代の歌人大伴家持がこんな歌を残しています。
かささぎの わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
七夕の夜、織り姫と彦星を逢わせるために鵲が翼を連ねて渡した橋に、天の川に散らばる星くずが霜のように白いのを見ていると、夜も更けてしまったのだなあ。
奈良時代ですから星合は浜でした。漆黒の夜空には南北に天の川が真っ白に輝いていたことでしょう。松阪市星合町の七夕伝説はこのように奈良時代から都にも知られていました。
鵲(かささぎ)は、カラスのような鳥で今でも九州に生息しています。鵲小学校の近くには鵲橋があります。ここは朝鮮半島からの渡来人が住み着いたといういわれのある所です。七夕祭りが日本に広く定着するのはずっと後の話です。奈良時代に七夕祭りがされていたのは、当時最先端の文化や技術を持った限られた人々の行事でした。今では住民協議会の皆さんが、ここで鵲七夕祭りを行っています。
7月7日午後9時の南東の空を天文シミュレーションで描いてみました。東の空には織り姫のベガが明るく輝き、その右下には天の川を隔てて彦星のアルタイルが燦然と輝いています。天の川を飛ぶはくちょう座は鵲のようにも見えます。今夜の午後九時は月が山の端に昇ろうとしており、南天には木星と土星がきらめいています。
この星空では天の川が東の空にあって、しかも今から月が昇り織り姫と彦星は見えにくくなっています。本当は天の川が天頂付近にあり、織り姫も彦星も橋を渡したように私たちの頭の真上に来てほしいものです。これは明治時代に太陰暦から太陽暦に変わり、そのまま7月7日を七夕としたためこのような形になっているのです。今年の伝統的な七夕は、8月25日です。特に来月の19日は新月でもあり、すでに梅雨も明けて安定的に満天の星空を楽しむことができるでしょう。
晴れればスターダストをばらまいたような満天の星空になります。双眼鏡で見れば、家持が詠ったように一つひとつの星々が霜のように真っ白に見ることができるでしょう。星合町の東はすぐ伊勢湾で西には二十キロほどの伊勢平野が広がります。奈良時代の星合町は何一つ地上の光は見えなかったでしょう。漆黒の浜から見える夜空は家持が詠ったように霜を置いたような満天の星々がきらめいていたことでしょう。都にいた大伴家持も星合町の浜を心に投影してこの歌を詠んだのでしよう。彼の心象風景は千数百年の時空を越えて、私たちの心に今も届いてきます。