紀伊半島を吉野川から紀ノ川に下ると清州道の駅があります。その隣に清州が開いた医学院があります。彼は全身麻酔を使った乳がんの手術を世界で初めて行った医者として有名です。道の駅でいただいた昼食は清州の妻の名前にちなんだ物。プレートに小盛りに丁寧に調理された食材が載っていてどれも美味です。ちょっと量的には少ないかと。でも、体にいい物ばかりだと思いました。さすが食育のメッカで出される一品です。
腹ごしらえが終わったので、粉河寺に行きました。西国三十三ヵ所の札所です。中門には仁王さんが立っています。芭蕉はここで一句を詠んでいます。
ひとつぬきて うしろにおいぬ ころもがえ
旅の途中、暑くなってきたのでしょうか。衣を一枚脱いで背負うことにした。もう衣替えの時節なんだ。一瞬のうちに出来た一句なのでしよう。旅の途中の無心の状態から自然に生まれた十七音なのでしょう。私たちの生活の中でなにげなく当たり前にある日常をそのまま写し取った言葉が俳諧という芸術に昇華された一瞬でした。境内の暑さ、日差しの強さ、新緑の香り、蝉の声、汗の臭い、境内を吹く風のなびき、五感で感じるすべての物を感じさせてしまう表現です。
本堂の瓦が夏の強い日差しに照らされて銀色に輝いています。何とも暑い夏の一コマです。本堂には西国三十三ヵ所の御詠歌が書かれています。
父母の 恵み深き 粉河寺 仏の誓い 頼もしの身や
両親の慈悲の深さを感じさせる粉河寺。すべての人々を救済しようとする仏の強い誓い、なんとそれにより頼める身であることか。本堂でしきりにお念仏を唱えていらっしゃる参詣者が一人おられます。夏の暑い空気の中で聞こえてくる声はなぜか涼しげです。人はなぜ祈るのか。ここにいると何となくそれが言葉に焦点化できそうな、そんな空間がここにあります。
聞こえてくるのはお念仏。そして、境内を吹く夏の風。奉納された絵馬がカラカラと鳴って、境内の静けさをはっと気づかせてくれます。ここにはどんな時間が流れているのでしようか。ひょっとして時間を越えて別の世界があるかのような錯覚になります。駐車場の近くに果物を売っているお店がありました。桃やスモモを売っています。スモモは一かご300円、桃は一盛り500円。生産者だから出来ることなのでしょう。買おうとしたらスモモをもう一盛りおまけして。新型コロナウイルスで客が少ないのでようお参りと。この人はお土産を売っているというよりも、参拝者に施しをしているのではと思ったことでした。
帰り道に買ったのは柿の葉寿司ヤマトの日替わり弁当です。すぐに売り切れてしまいます。運良く十分待ったら売ってくれました。そんなに豪華な食材を使ったものではありません。でも、一つひとつが丁寧に作られています。職人の手が入ると素材のうまさが十二分に生かされるのでしょう。ちょっと得をした気持ちになりました。吉野川から紀ノ川沿いにはその風土独特のおもてなしの心と食材がありました。