本州最南端の街 和歌山県串本町に行ってみた! | バイカルアザラシのnicoチャンネル

バイカルアザラシのnicoチャンネル

 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 本州最南端の街、和歌山県串本町の大島にやって来た。島と言っても橋が架かっていて、車で自由に行き来できる。この町に民謡がある。

 ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船 アラヨイショ ヨイショ  ヨイショ ヨイショ ヨイショ

 何とも簡単な歌詞ですぐに覚えてしまう。ここからは本州が見える。漁船が絶え間なく行き来している。近くの岩礁には海鳥が群れていて、餌が豊富なのだろう。太平洋がそのままつながっている。

 

 飛んでいるのは海鳥だけではない。猛禽類もいる。ここで人間がお弁当でも広げていたら、空いっぱいに飛んでいる。隙あらばおにぎりなんぞは格好の標的になる。

 

 漁が終わった舟は、漁港に戻っていく。漁師達の表情は満足げだ。疲れているのか、脱力している人もいる。波を蹴って全速力で帰って行く。いったい今日はどんな収穫があったのだろう。

 

 大島は名前の通り、広い島だ。漁港がいくつかあるが樫野漁協の海釣り公園に食堂がある。今の時期は伊勢エビが出る。どんぶりからはみ出すような伊勢エビをまるごと天ぷらにしてある。活き作りも美味しいが、味が出るのはやはり火を通さないと。うま味がたっぷり出ている。触覚や足の付け根までぎっしり中身が入っている。しかもお味噌汁に伊勢エビの半身が入っている。何とも豪華な盛り合わせ。この時期は2900円で食べることができる。来る人来る人みんなこのメニューを楽しんでいる。生まれてからこんなに美味しいものを食べたことはない。きっとそのメニューの一つに入るお味だ。ここまで来てでも食べたくなるから不思議。それだけの価値がある。

 

 樫野崎には灯台がある。明治期に御雇外国人のジョン・ブラントンが設計した石造りの日本最古の灯台だ。真っ青な空に真っ青な海、そこに白壁の灯台がある。青と白は相性がいい。春めいてくると霞で碧い空と蒼い海の境界がなくなる。でも今は厳冬期、空も海もきっちり水平線がくっきりと分けている。今日の串本は上着を脱ぐ温かさ。この島に春はどこにでもある。岬の先端にはハイビスカスの赤い花が咲いている。もうここでいきなり南国の香りが漂っている。

 

 岬は一面鼻をつくような香り。香の主はスイセンだ。今日は風が強い。風に巻き上がった香は岬全体を覆っている。風は冷たくても香はすでに春を感じさせる。

 

 また、ひとつ春を見つけた。梅が一輪咲いている。和歌山には南部梅林があり、梅干しの生産高は日本一だ。これから梅の開花がどんどん北上していくのだろう。この一輪が梅の開花の火付け役だ。樫野崎から萌え出た梅の一輪は導火線のように本州に渡って白や薄紅色に日本の風景を染めていくのだろう。

 ここは千年一日のごとく、変化がない。でも、少し変化もあった。紀伊大島はトルコとの関係が深い。明治時代にトルコの軍艦が嵐の中座礁した。島民は命がけでトルコ人達を助けた。嵐の中を泳ぎ、家を開放して自分の体温で遭難者の体を温め、食事を提供した。亡くなった人を手厚く葬った。そのよしみなのか、ここにトルコ人が経営する土産物屋がある。今ではそれも一軒になってしまった。老夫婦の土産物店は、モスクになっていた。

 灯台には監視カメラがいくつも仕掛けられている。こんな岬で悪さをする人がいるのだろうか。こんな美しい景色を壊そうとする人がいるのだろうか。こんな所にさえ監視カメラが必要な時代になったのだろう。碧い空、蒼い海、白亜の灯台、一面のスイセン、大島椿やハイビスカス。素敵な岬の美しさは、一瞬にして興ざめてしまった。

 かって岬一面を覆っていたスイセン。今は雑草が進出している。ススキがスイセンを駆逐しようとしている。このままだと岬はススキの原になってしまうかも知れない。冬から春、人はなぜここに来ようとするのか。もし、スイセンがススキの原になっていたら、空の碧も海の蒼もハイビスカスや椿の赤もむなしくなってしまう。風が吹いてもスイセンの芳香は、乾いた枯れた風に変わってしまうだろう。この岬の春は緑の大地に黄色いスイセンが似つかわしい。