「フランダースの犬」の物語は、日本でアニメになって子どもだけでなく大人までも感動させました。ところが、これを書いた作家の出身国イギリスを始めヨーロッパやアメリカでは受けは今一歩。アメリカでは、ストーリーを変えて出回っているとか。アントワープを旅行する人は日本人ばかり。もちろん、フランダースの犬の聖地巡礼です。あらすじはこんなのです。
アントワープの小さな農村にネロが住んでいました。優しいおじいさんと忠犬パトラッシュと暮らしています。ネロはいつか絵描きさんになることをめざしていて、大聖堂のルーベンスが描いた絵をを見たいと思っていました。ある日、ネロは放火をしたと濡れ衣を着せられ、しかもクリスマスの前におじいさんを亡くします。クリスマスイブには、家賃を払えないために小屋を追い出されてしまいました。ネロはコンクールに絵を描きましたが、結果は落選でした。
すべてを失って、失望のどん底で、ネロは吹雪の中を大聖堂に向かって出て行きます。パトラッシュもネロを追いかけました。実はこのとき、有名な絵描きさんがネロの才能を発見して育てようと決めていたのでした。
でも、すべてが遅かったのです。雲の間から指した月の光が彼が見たかった絵を照らし出しました。ネロは願いがかなったと神様に感謝して愛犬とともに冷たくなっていきました。村の人たちは、少年と愛犬をおじいさんのお墓に手厚く葬りました。
さて、日本人と欧米人は受け取り方がこんなに違うらしいのです。あなたなら、どちらに入るでしょうか?
日本人は、ストーリーをそのまま読み取って、いい話だと感動するようです。アメリカでは、何とハッピーエンドに話の筋を変えて絵本を出版しています。原作者が見たらどう思うでしょうか。本日誤診のお医者様に聞いたら、画家がダメなら医者があるさとアドバイスをくれました。
欧米の人は、自立心が強く、絵の道がだめなら別の道を選んだらいいと考える傾向があるようです。いい意味の自我が確立しているのでしょう。心が柔軟だと言うこともできます。日本人は、一度決めたらこの道に。石の上にも三年と、一つのことに執着してとことん前に進む傾向があります。どちらもいいと思うし、どちらも危うさを持っています。
ところで、ロバさんはこんな悲しいお話を読むのにドーナツは離さないし、アメリカの人は、なぜか五平餅を持っています。あの2人、どうしたんでしょうね。まあ、サラブレッドとしてはイチゴがあればどうでもいいですけど。




