二十六聖人の丘には聖人達のレリーフがあります。朝早く丘に登っていくとまだ朝日は出ていません。東の空が白み始めています。やがて空はあかね色に染まります。この季節、しっとりと露が落ちています。日の出です。聖人たちの目にはいっぱい涙が含まれて、朝日が涙を金剛石のように光らせます。もちろんそれはレリーフに刻まれた聖人達の瞳にはらんだ朝露なのでしょう。しかし、見る者は聖人達の流した涙のように見えることでしょう。その涙は豊かな物に囲まれて何も見えていない悟ろうとしない現代人達への憐れみなのでしょうか。救世主は、「貧しい者は、幸いです。」と語ったと言います。物の豊かさの中で、心の貧困があります。貧しすぎて心まで貧困になることもあります。しかし、彼らは貧しさの中で満ち足りました。そんな世界があるのか。そんな境地があるのか。殉教者達は黙して語りません。
戦国時代に殉教とよく似たことが熊野で行われていました。その場所は、補陀洛山寺です。ここに一体の美しい観音様があります。一度見たらまた見たくなる。何とも不思議な仏様です。補陀洛とは「ふだらく」で、サンスクリット語では「ポータラカ」つまり観音浄土を意味します。この寺に生まれた住職は61歳になると、船に乗って南の海を目指します。補陀洛山寺には奇妙な船が展示されています。渡海船です。小さな木船の中心には四方を鳥居で囲まれた社があります。この中に三十日分の水と食料を入れて、還暦を迎えた住職は南の海に船出します。補陀洛渡海は二十数回行われており、戦国時代に入ると急激に多くなっています。二度と戻ることはない観音浄土への路。
イエズス会宣教師ルイス・フロイスは、補陀洛渡海についてローマに報告を送っています。この時代、なぜキリシタン達は殉教に向かったのか、僧達は補陀洛渡海に向かったのか。時代や社会が苦しければ、あの世の世界にあこがれが生まれます。教えに忠実に生きようとすれば、傷つきます。世の中は苦しみばかり、貧しさばかり。そんなこの世の中で来たるべき世は、理想の世界だったのでしょう。この世が苦悩で満ちているほど、あの世への憧憬はより強くなったことなのでしょう。キリスト教が瞬く間に広まったのも、そんな時代精神が起こしたことなのかも知れません。キリストが説くパライソ、観音が招くポータラカは、信じる者達の天国であり浄土だったのでしょう。神も仏も黙して語りません。激しい迫害の中でも神は沈黙を守り、苦しみに満ちた中でも仏は静謐を保ちます。すべてはまったき静けさの中で、人は何かに気づきます。キリシタンの殉教、僧達の捨身、そこには時代精神が起こした共通の何かを発見することができるでしょう。
長崎の二十六聖人の丘、熊野の浜の宮には神も仏も黙して語らずとも、ここに来る人を否応なしに何かに気づかせる力があります。それは覚醒と呼ばれたり、悟りと呼ばれたりします。それがどんな言葉で表そうとも、ここに来る人たちに気づきを触発させるパワーに満ちた場所です。