先週、スキーに来たけどゲレンデは雨。ダイナランドの駐車場で一夜を過ごして、明日は雪に変わるかと思いきや、朝はやっぱり雨。その日のスキーはあきらめて、白川郷にやって来た。合掌造りが立ち並ぶ街道からは春節なのか中国語しか聞こえてきません。
昨夜からの雨で、屋根の雪は融けています。雪深い山里の趣深さは今一歩といったところ。ここは長瀬家でしたか。うーん、忘れた。
神田家が合掌造りを一般公開しています。玄関を入ると囲炉裏に薪が焚いてあって温かい。赤い炎を見ると気持ちも安らぎます。囲炉裏の上にはゼンマイ仕掛けの古時計がかかっています。神田家は代々女系家族。今も正確に時を刻んでる振り子は、どんな時の流れをつくってきたのでしょうか。楽しさも、嬉しさも、喜びも、そして、悲しさも、振り子は何も語らないで、今朝のように左右に静々と振ってきたのでしょう。泣いても笑っても、振り子は右に振れ、左に触れ、ただ左右を行き来するだけ。なのに、すべてを知っているかのようにここに住まう人たちの想いを受け止めてきたのでしょう。檜の香りが部屋いっぱいに広がって、部屋の隅々まで温かい。
二階に上がると、杵や臼や甑がいっぱい。石油やガスや電気のない昔の世界が広がっていました。餅米を蒸して、杵でついて・・・。時がゆっくり流れていた時代を彷彿とさせます。すべてが長閑で穏やかだった冬の風景がよみがえります。夏、蚕を飼って真っ白な幼虫が真緑の桑の葉を食べる。繭は生糸となり、冬は美しい絹布を織る音が純白の雪景色にこだます。道具のすべてが息づいているように見えました。
わら靴には冬の花が生けてあります。神田家らしい客へのもてなしです。わら靴の中には神様がいらっしゃる。これを編んだ人の優しさや温かさ、一途さが編み目の一つひとつににじみ出ています。雪深い路を歩くのに温かく過ごして欲しい、これを履く人へ想いが今も靴の中に残ってるみたい。
最上階からは、白川郷の冬景色が見渡せます。だれもが最上階へと登っていきます。何が最上階へとかき立てるのでしょうか。そこから見える眺望なのか。最上階は合掌造りの重心のすべてがかかっています。そして、多くの構造が重みをなやす工夫がここかしこに仕組んであります。頂点には豪雪を受け止め、すべての重みをなやすパワースポットのような力が備わっているのかも。ここに来ると、雪国に暮らす人々のパワーを少しだけお裾分けされるような、そんな感じがしてきます。
雨が降らなければ、今頃、白銀の世界で山頂から斜滑降をしていたことでしょう。雨がもたらした世界遺産の小さな旅でした。明日は、晴れるかな? もちろん見事晴れました。




