この季節になるとどこからともなく薔薇の香りが漂ってくるお家があります。
春の日差しを受けて真っ赤な薔薇がますます赤く輝きます。
紅色に真ん中は黄金色をしています。こんな薔薇、初めて見ました。
ミツバチがやってきては、せっせと蜜を集めています。薔薇の蜜はやはり薔薇の香りがするらしい。でも、このミツバチは野生のようで、どこに巣があるのかは不明。
こんな素敵なところは、どこを探してもあまりないでしょう。なぜ公開しないのかと尋ねると、本当に薔薇が好きだから。本当に薔薇が好きな人にだけ見て欲しいから。そして、何と言っても家族に見せたいから。いろんな薔薇園を見てきましたが、薔薇の一本一本が生き生きとして生気があります。薔薇の一本、一枝でさえ大切にされているのがよく分かります。水瓶に散らされた薔薇の花びら、花びらの一枚でさえ最後まで大切にされているのが分かります。散った花びらさえ、最後の美しさを奏でさせたい。「花びらが散ったら、それでお終い。それでは花がかわいそうでしょ。最後まで美しくしてあげたい。」薔薇園の主人の気持ちが出ています。やがて花びらは茶色に朽ちて、醜い姿をさらします。でも、そうなる直前に裏の畑に集めて堆肥を作るそうです。ここでは何一つ無駄になることはありません。微生物が花びらを分解して、次の世代の肥料に生まれ変わります。そして、そこから、また、美しい薔薇が咲くのでしょう。美しさのサイクルはこうしてこの秘密の花園でいつまでも繰り返されるのでしょう。
不思議に思えたのは、薔薇の一つひとつが喜んでいるような気がしたから。薔薇を見ていて、その背後に何かの気配を感じたような。それは薔薇の精(spirit)なのかも知れません。時間を忘れて、時間を超えていつまでも春の日を薔薇たちとともに楽しみました。
美しい物が時間の流れに流れていきます。それを見落とすのも自由。それをそっとすくって言葉として永遠に定着する。ある人は、その美を絵に残すのかも。でも、いつまでも残るのは、この花園を作った主人の心のような気がします。それはお孫さんやひ孫さんまで受け継がれ、歩き始めた小さな命が薔薇の水やりを欠かさないとか。命の連続性は、優しさをどこまでも受け継いでいくのでしょうか。