花は桜 桜は吉野 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 花は桜、桜は吉野と言われます。日本の桜百選までを持ち出すまでもなく、吉野は桜の名所です。今日も桜坂を登っていく人々。いったいどんな風景を求めて登っていくのでしょうか。


 それはこの景色にありました。吉野山が眼下に見えます。山桜の向こうには、春を迎えた蔵王堂が見えます。吉野山はさながら山上宗教都市を形成していました。

 

 小さな集落を通り抜けていくと、水分神社があります。「みくまり」とは水を分けること、つまり分水嶺を表します。ここを境に降る雨は別の川に流れ、海に注ぐのでしょう。人の出逢いもそれとよく似ています。一緒にいても別れることがあります。遠くにいても出逢うことがあります。「愛別離苦 あいべつりく」という言葉があります。愛する人と別れなければならない苦しみ。これとは逆に憎む人と共に生きる苦しみもお釈迦様は説いています。分水嶺はそこに雨が降れば、否応なしに別々の川に注ぐことになります。それは人と人の出逢いのようなものだとここに来て気づきました。今は、春風がしだれ桜の花びらを盛んに境内に散らしています。

 

 蔵王堂は、今日、花供懺法会の日。役行者が山上ヶ岳で祈り出した金剛蔵王大権現の神木桜の開花を知らせる祭りです。冬、雪深い吉野はこの日が来ると本格的な春の季節になります。

 

 いよいよ採灯護摩が焚かれます。四方に矢を放ち厳かに祭りが始まりました。

 

 般若心経や蔵王大権現様への真言が唱えられ、祭りは最高潮を迎えます。

 

 護摩が焚かれ、炎の勢いを押さえるため水が差されます。山伏たちの一人ひとりが役を与えられ、祭りはどんどん進んでいきます。一人ひとりが奉仕によってこの祭りが調和を持ってなされているのでしょう。

 

 人はなぜ祈るのか。ここに来ると何となく分かります。一心に祈る姿。ただ何を祈るというよりも、心は無の状態なのでしょう。炎で陽炎ができて、山伏の姿が揺らぎます。最後にホラ貝が吹かれ、祭りは終わりました。古代インドのゾロアスターも神聖な物として火を儀式に使いました。その祈りはシルクロードを通って、東の果てのこの吉野までもたらされたのでしょうか。

 

  護摩から立ち上る陽炎の向こうに菩薩達を見たような気がします。ある者は勢至菩薩、ある者は文殊、ある者は観音、そして、ある者は地蔵と行者たちの一人ひとりがこの世界で菩薩道を歩んでいるのかも知れません。私たち俗世間に生きるもののために、彼らは身代わりとなり、大峰で厳しい修行に挑んでいるのでしょう。それは山伏たち自身のためであり、私たちの為でもあります。

 

 祭りが終わった吉野山は、また、もとの静けさをとりもどしました。桜を撮る人、絵を描く人。どんな風景が写っているのでしょう。

 

 もう満開の桜は終わり、新緑が始まっています。下千本は新緑、中千本は新緑と桜吹雪、奥千本は満開の桜です。5月3日、山上ヶ岳で行われる戸開式に満開の桜を見たことがあります。吉野大峰では、三月の下旬から五月の上旬まで桜を見ることができます。桜の道は、奥駈道でした。それは修験の道、修行の道です。吉野山から山上ヶ岳への長い長い桜坂、それは祈りの道でした。

 

 今日の一枚です。中千本を背景に一枝の桜の接写。マクロの世界のミクロの世界。どちらも美しいです。

 

https://youtu.be/0EiPSMXAId4

ここをクリックすると今日の動画になります。11分の吉野山の桜と花供懺法会をお楽しみください。