「奥出雲たたらと刀剣館」は、広島県と鳥取県の県境に近い、険しい山に囲まれた盆地の中にありました。この辺りは、海岸付近の出雲に対して奥出雲と呼ばれています。見上げると船通山の頂が見えるのですが、太古の昔は鳥髪の峰と呼ばれていたそうです。古事記によれば、高天原を追放された須佐之男命は、斐伊川の上流にあるこの鳥髪の地に降りたとされます。つまり、須佐之男命の出雲での物語はここから始まりました。そうした神話の舞台に「奥出雲たたらと刀剣館」があります。日本における、タタラ製鉄の歴史を勉強させていただきました。

 

 この奥出雲では、古代から近世まで製鉄業が行われてきました。特に日本刀の原料となる玉鋼の生産が有名です。玉鋼とは、タタラ製鉄によって生み出される炭素含有量の少ない良質の鉄のことをいいます。製鉄において炭素の含有量は製品の質に大きく影響しました。少なければ粘りのある良質な鉄になりますが、多いと硬くなります。硬い鉄というは脆く壊れやすいそうで、日本刀には向きません。炭素量が多い鉄は、鋳型に流し込んで成形する鋳物に使われたようです。

 

 奥出雲のタタラ製鉄は、松江藩の庇護により江戸時代に隆盛を極めました。砂鉄の採取、木炭用材伐採の許可を得た鉄師九家が独占的に製鉄を行い江戸時代の鉄産業を支えます。このように良質な鉄を生み出すたたら製鉄でしたが、大量生産には不向きでした。明治期になると西洋の製鉄技術が導入され、鉄の大量生産が可能になります。時代は海外との戦争の時代に入っており、軍需産業の拡大から大量の鉄が必要とされました。奥出雲においては軍刀の材料として一定の需要はありましたが、大正期に閉鎖に追い込まれてしまいます。一旦は失われてしまった技術になりますが、現代では公益財団法人日本美術刀剣保存協会が運営する「日刀保たたら」により、日本古来のタタラ製鉄法が再現されています。

 

 ところで、ここ奥出雲は記紀で紹介される八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の物語の舞台でもありました。宍道湖に流れ込む斐伊川の上流にやってきた須佐之男命は泣いている老夫婦に出会います。話を聞くと、この里には八つの頭と八つの尾をもつ八岐大蛇がいて、毎年、自分の娘が生贄として食べられていました。最後に残った末娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)を見た須佐之男命は、その美しさに惚れてしまいます。娘との結婚を条件にして、八岐大蛇を退治することを老夫婦に約束しました。詳細は省きますが、強いお酒を用意した須佐之男命は八岐大蛇を酔わせたうえで切り殺します。その尻尾からは、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が現れました。この剣こそが三種の神器の一つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)になります。

 

 さて、有名な八岐大蛇の物語ですが、調べてみると面白い考察がありました。斐伊川は農耕に必要な水を供給する大切な河川であったわけですが、同時に洪水という災害も引き起こしていました。八岐大蛇とはこの斐伊川のことで、川の氾濫により老夫婦は娘たちを失ったのかもしれません。また、具体的に「生贄」との記述があることから、水の神の怒りを治めるために実際に人身御供も行っていたのでしょう。

 

 そうした問題に対して、須佐之男命が取れる具体的な行動は治水工事だったと考えられます。八岐大蛇の物語では、お酒で酔わせたところを切りつけるシーンが有名ですが、実はその前段階の準備として首を入れる八つの門を作っています。そうした記述は、もしかすると治水工事の名残だったのかもしれません。斐伊川を安定させると、稲作の収量が増加します。須佐之男命と結婚した櫛名田比売は稲田媛とも書き、稲の女神でした。このことからも須佐之男命が出雲において、稲作の拡大に尽力したであろうことが伺えます。

 

 物語のクライマックスは、大蛇の尻尾から出てくる天叢雲剣でした。斐伊川の上流にある奥出雲は、古代からタタラ場として栄えていました。つまり八岐大蛇の尻尾とは斐伊川の上流であり、出雲を治めた須佐之男命は当時としては最先端の技術であった製鉄という産業も手に入れたことになるのです。そのタタラ場で作り出された最高の一振りが、天叢雲剣だったのでしょう。

 

 製鉄という技術は大陸から持たされました。その源流を遡っていくとヒッタイトに辿り着きます。ヒッタイトは、現在のトルコがあるアナトリア半島で、紀元前1600年頃に栄えた王国になります。鉄加工を独占したことにより国を強くしたともいわれるヒッタイトには、面白い神話がありました。嵐神プルリヤシュは、蛇の化け物イルヤンカと対立していました。イルヤンカの力は凄まじく、嵐神プルリヤシュはその力の前に屈してしまいます。嵐神プルリヤシュは女神イナラシュに助けを求めました。女神イナラシュは、人間フパシヤシュと力を合わせて竜神イルヤンカの討伐を画策します。その方法というのが、盛大な酒宴を開きイルヤンカを泥酔させるというものでした。酩酊したイルヤンカは、嵐神プルリヤシュによって殺されてしまいます。

 

 ――!?

 

 蛇の化け物イルヤンカと八岐大蛇がどちらも蛇という符合もさることながら、泥酔させるという作戦も一致します。これは偶然でしょうか。それとも製鉄文化と一緒に神々の伝承が一緒に持ち込まれたのでしょうか。とても面白い。

 

 「奥出雲たたらと刀剣館」はとても勉強になりましたが、ゆっくりは出来ませんでした。なぜなら日が暮れるからです。慌ただしく見学した後、近所にある稲田神社に寄ることもできずに、スーパーカブを走らせました。次なる目的地は温泉です。