丹後半島を中心とした僕の野宿旅の物語は、今回で最後になります。この紀行文は、この先僕が書き上げるであろう聖徳太子の物語のために書きました。現地で知ったこと、その時に僕が感じたことを文章化して、将来の僕の資料にするためです。また、読み物としても面白いものにしたかったので、ネタとして二日目には葦谷砲台跡で野宿してみました。怖かった夢の話を文章化してみましたが、思いのほかウケは良くなかったようです。僕が面白いと感じる事柄と、読者が求める面白さに乖離があるんだな……と思いました。

 

 実は、自宅に帰ってから気が付いたのですが、テントのポールを葦谷砲台跡に忘れてきたようなのです。真っ暗ななか懐中電灯を地面に照らして、忘れ物がないように注意したはずなのに大阪に帰ってくるとありませんでした。このテントはドーム型のソロテントなのですが、コンパクトな上に雪山で使用できる優れものなのです。僕が野宿するシーズンは秋から春という寒い時期が中心で、このテントにはいつも助けられていました。僕にとっては無くてはならないテントなのです。更に、このテントは北アルプスで亡くなった従弟の形見でもありました。それだけに、かなりショックです。

 

 福井県年縞博物館を後にした僕は、その後、向かいにある若狭三方縄文博物館を見学したのち、敦賀市を経由して滋賀県の長浜市に向かいました。長浜市といえば、織田信長と戦った浅井長政が有名です。彼の三姉妹である淀・初・江は、その後の歴史にも大きく影響を与えました。そうした浅井長政と三姉妹、それに姉川の合戦について展示している浅井町歴史民俗資料館に足を運びます。映像や模型を使って分かりやすく戦国時代を紹介した素晴らしい博物館だったのですが、僕の目的は本館と庭を挟んで向かい側にある「糸姫の館」でした。

 

 「糸姫の館」は、鉄筋コンクリートの本館とは違い、茅葺屋根の昔ながらの日本家屋になります。現代では見られなくなった養蚕農家の暮らしについて、実際に使われた道具をもとにして紹介していました。日本の養蚕業の歴史は、応神天皇のころにやってきた秦一族によって始まります。現代では、そうした蚕から絹糸を作る様子を見ることが出来ないので、とても貴重な展示物でした。とはいっても大正時代の頃の様子ですから、飛鳥時代とは全然違います。それでも知らなかった養蚕業の世界を感じれたのは良かった。

 

 長浜市を後にしたのが15時ごろ、ゴールデンウィークということもあり大阪方面に向かう国道はどこも渋滞でした。琵琶湖の最南端である瀬田からは、京都市内を避けて宇治川沿いに走ります。そのまま走ると宇治の平等院鳳凰堂方面に出るのですが、左折して渋滞がない山道を選びます。京田辺市を経由して枚方に向かい、20時ごろに自宅がある摂津市に到着しました。全行程650km。内容の濃いスーパーカブでの野宿旅でした。

 

 最近の僕は、聖徳太子を一つの起点として、人間の存在について考えようとしています。過去から繰り返されてきた戦争は現代でも繰り返されていますし、更に大きな戦争に発展してしまいそうな兆しもあります。自由と平等が叫ばれ民主主義が誕生しましたが、現代において民主主義が円滑に機能している国は少ない。どちらかというと独裁的な国家の方が世界では圧倒的に多く、民主主義という理想はまだまだ前途多難になります。資本主義をもとにした貨幣社会は、あらゆるものに価格と所有者を特定し、消費行動を加速してきました。そうした止まらない消費行動は環境破壊を引き起こし、人類そのものの存続を脅かす事態にまで発展しました。そのような事例を俯瞰するにつけ、「人間の存在は地球にとって癌なのか?」みたいな気持ちにさせられたりします。昔、ドラマ「TRICK」の主題歌に鬼塚ちひろの「月光」が使われました。あの歌詞なんか正にそうでした。意訳を紹介します。

 

 神の子ではあるけれど、どうしてこんなにも苦しまなければならないの。

 腐敗したこんな世界のために、私は生まれたかったわけじゃない。

 

 哀愁に満ちた旋律は多くの人の心を捉え、ドラマの人気とともにヒット曲になりました。歌詞の気持ちは良く分かります。共感した人も多いのではないでしょうか。純粋な若者であればあるほど、そんな気持ちになったと思います。子供のころは「人には親切にしましょう」「盗みはいけません」「礼儀正しくしましょう」「怠けてはいけません」と良い人間になるように教育されます。ところが、学校ではいじめがあったり、大人の不正がニュースになっていたりと、その反対のことがまかり通っている現実を見せつけられます。

 

 歴史を振り返ってみると、アメリカの独立宣言やフランス革命は不正に対する正義の怒りでした。この世界を良くしたいという強い思いが、民衆運動へと発展しました。その後の歴史は、世界の至る所で革命が勃発します。良い悪いは別にして、ヒットラーも己の信念に生きる革命者でした。疲弊したドイツを護るための戦いだったからです。ヒットラーには彼なりの正義があったわけです。このように見ていくと、次のような命題にぶち当たります。

 

 ――正義とは何か?

 

 一般的には、自分の仲間を護る戦いのことを「正義」と定義して差し支えないと思います。ただ、正義は非常に曖昧な概念になります。トロッコ問題をはじめとして、一冊の本では語りつくせないほど奥深い問題でした。聖徳太子の物語を書くとなると、この「正義」の問題は避けて通れません。今回はこれ以上語りませんが、僕は大きな概念的な転換が必要だと思っています。そもそも僕たちが正しいと信じてきたものの多くは、再考が必要でしょう。僕なりにはその源流をたどれば、以前にも語りましたがアダムとイブの原罪的な話になると考えています。