福井県年縞博物館は、三方五湖の東端にある博物館になります。初めて、この博物館の名前を見た時、読むことが出来ませんでした。年縞という漢字は、「ねんこう」と読みます。似たような言葉に年輪があります。年輪は木が成長するに従って幹の断面に現れる丸い縞のことで、この年輪を調べることで木の年齢が分かります。屋久島にある縄文杉は2000年という途方もない時間を生きてきましたが、その軌跡が年輪に残されています。実は、年縞も同じで一年ごとに現れる縞のことを指します。その縞が、三方五湖のひとつ水月湖の湖底に残されていました。その残された年縞のスケールがすごい。実に7万年分なのです。ユネスコでは、この水月湖の年縞を使って地質学的な年代測定を行うことを決定しました。福井県年縞博物館では、この世界の物差しである年縞を見学することが出来るのです。

 

 博物館のメインの展示スペースは二階になりますが、入り口は一階になります。一階で受付を済ませると、係員に年縞シアターに案内されます。ここでは年縞に関する予備知識を勉強することが出来ました。年縞とは「長い年月の間に湖沼などに堆積した層が描く特徴的な縞模様の湖底堆積物」になります。年縞が出来るためには、四季という気候的な変化が必要でした。春から秋にかけてプランクトンの死骸や花粉などが、秋から春にかけて黄砂や鉄分などが交互に堆積していき、白と黒の縞模様の年縞が出来上がります。

 

 ところで、この水月湖に眠る年縞は堆積物になります。縞模様を見るといっても、そのままでは見ることが出来ません。調査は1991年から始まり、具体的にボーリングによって年縞が採取され始めたのは2006年からでした。イメージ的には、豆腐にストローを刺しこむと細長い豆腐を切り出すことが出来ます。しかし、水月湖の年縞はそんな簡単には採取できません。湖の深さだけでも30m以上はあり、堆積物にいたっては70mもあるのです。また、採取する段階で年縞が崩れてしまっては元も子もありません。かなり困難を極めたそうです。そうした年縞が特殊な技術によってステンドグラスにされ、博物館では展示されています。

 

 このような年縞が出来るためには、外から影響を受けない環境が7万年も維持されなければなりません。三方五湖の水月湖は、周りを湖に囲まれているため、河川の流入や海からの影響を受けません。また、断層活動によって出来た湖はとても深く、現在の深度でも34mあります。そのような深い湖底では酸素がないため生物が生息することが出来ません。このように奇跡的な環境が整ったお陰で、静かに静かに誰にも邪魔されずに7万年もの長きにわたって年縞が形成されていきました。

 

 発掘調査において縄文土器や貝塚が発見されると、その時代を特定するために「放射性炭素年代測定法」が使われます。詳しくは知りませんが、炭素の中の放射性炭素であるC14は約5730年で半減するそうです。その特徴を生かして、炭素の放射性炭素の残量を計測することで、発掘物の時代を特定することができました。ところが、この方法では数百年から数千年というズレが起きてしまうことが難点だったようです。このズレを修正するために、水月湖の年縞が世界標準の物差しとして使われました。年代特定の精度が飛躍的に高まったそうです。

 

 年縞の価値はそれだけではありません。地球の気候は、寒冷期と温暖期を繰り返しています。その様子が年縞の縞模様の濃さから判別できました。温暖期では植物の生育が活発になります。すると堆積物が増えるので色が濃くなります。逆に、寒冷期では薄くなります。また、面白いのが堆積物に花粉があるのですが、その花粉から当時どのような植物が生育していたのかを特定することができました。温暖になれば広葉樹の花粉が、寒冷になれば白樺の花粉が、弥生時代を経て人間の活動が活発になると米の花粉が堆積していたのです。ただの縞模様にしか見えない年縞ですが、研究者の皆さんにはその縞模様から気候変動だけでなく当時の植物の生態系まで見えているようです。とても面白いと思いました。

 

 博物館の展示物には所々にQRコードが表示されています。そのQRコードをスマホで読み込むと、音声案内が始まりました。素晴らしいアイデアです。美術館等で音声案内のサービスがありますが、あれがスマホ向けにカスタマイズされていました。また、博物館には年縞について解説してくれるナビゲーターがいます。僕は、そのナビゲーターの解説を聞かせていただきました。気軽な質問にも答えてくれるし、話しぶりが手馴れています。とても分かりやすかった。そのナビゲーターが立ち止まり、指をさします。

 

「この部分には年縞がありません。なにか分かりますか?」

 

 年縞の厚さは1年で約0.7mm。その縞が幾重にも重なり年縞が出来るのですが、その部分だけ数センチにわたって縞模様が無くなっていました。実は、今から7253年±23年前に、鹿児島の南にある喜界島で起きた鬼界カルデラ大噴火による堆積物だったのです。過去1万年の内では世界最大規模の大噴火になり、九州の南側の生態系は壊滅しました。そのような大噴火の影響が、1000km以上も離れた水月湖に数センチにわたって堆積しているのです。西日本全域でも相当な被害があったことでしょう。

 

 三方湖の年縞は7万年の物差しですが、この7万年という時間はホモ・サピエンスの歴史でもありました。20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは、6万年前にユーラシア大陸に進出します。ところが、大陸にはすでに旧人類であるホモ・ネアンデルタールが活動を始めていました。この現生人類であるホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルタールの対比が、所々で紹介されていることが興味深かった。30万年前に誕生したと考えられているホモ・ネアンデルタールは僕たちの直系の先祖ではありません。同じネコ科でも虎とライオンがいるように、同じホモ属であっても違う人類になります。

 

 そうしたネアンデルタールが4万年前に、突如としてこの地球から姿を消します。この事実は、昨年に読んだ「サピエンス全史」でもなじみ深い内容でした。なぜ全滅したのかは今も議論がなされいますが、有力なのが、サピエンスがネアンデルタールを駆逐したという説になります。サピエンス全史では、ネアンデルタールとサピエンスの大きな違いの一つに「認知革命」をあげました。体格的にはネアンデルタールが勝っていましたが、サピエンスは集団の力で襲い掛かったかもしれないのです。

 

 認知革命について僕なりに説明すると、「心で感じた事柄を、物理的世界で表現し、他者と共有しあう行動」になります。例えば、言語は人間以外でも使用されていることが研究によりわかってきました。サルやイルカそれにカラスといった一般的に賢いと思われている動物はもちろんのこと、蜜蜂のミツバチダンスも広義では言語と捉えることが出来ます。ただ、そうした人間以外の言語では、心像風景は語られない。危険な動物がやってきたときに仲間に危機を伝えたり、食料の場所を教えたり、求愛行動で使われます。

 

 認知革命の大きな特徴は、目に見えないものを認識してそれを仲間と共有する力なのです。目に見えないものとは概念になります。勇気、愛情、誇り、悔しさといった人間の感情を概念化したり、算数、音楽、美的センスといった実社会で有用な事柄を概念化したり、お金の価値、宝石の価値、土地の価値、部族長の価値といった比較することで優劣が生まれるものを概念化したり、更には仲間を団結させるトーテムとして大きな役割を担った神という存在まで生み出しました。

 

 そのような認知革命が始まったのが、ざっくりと7万年前頃だと思われます。福井県年縞博物館に2時間近く滞在しましたが、展示物を見ながらそうした人類の歴史について思いを馳せていました。地球の歴史からすれば、人類の歴史は一瞬の光の様なものです。その一瞬の出来事の中で、人類は自立して考える力を手に入れました。母なる地球から生み出された人類のことを、僕は人間の親子と比較して考えることがあります。

 

 親の庇護を受けていた子供が成長していくと、大小の差はあれど反抗期をむかえます。あんなに素直な子供だったのにと嘆く親もいるかもしれませんが、人間の成長において反抗期は必要な通過点になります。自由を求めた子供はあちこちと頭をぶつけながら、親をも含めて社会と折り合いをつける距離感を学んでいきます。そうした子供が大人になり結婚すると、やがて子供が生まれます。自分の血を受け継ぐといっても、別人格の子供を育てるというのは、とても大変なことです。愛情がなければ成しえる行為ではありません。その時に、自分も子供であったことを思い出します。反抗した時期もありましたが、今度は感謝をもって自ら社会にとけ込もうとします。これは僕の個人的な感想の、理想的な親子像になります。

 

 そうした親子の姿を俯瞰するとき、スケールは違えども人類も似たようなパターンを繰り返しているのではないのかなと考えたりします。サルやライオン、リスや白鳥のようにこの地球の一部であった人類は、認知革命により自我を手に入れ、地球から独立した存在として文明を発展させてきました。戦争を繰り返し、環境を破壊し、核兵器という人類を殲滅することが出来る力も手に入れました。ただ、近年になってSDGsという概念を標榜して活動している姿は、かすかな希望の光かもしれません。未来がどうなるかは分かりませんが、私たち人類は、この母なる地球と再び交わろうとしているようにも見えます。7万年の歴史を俯瞰して、そんなことを考えていました。