国道27号線は、京都府京丹波町と敦賀市を結ぶ一般国道で、若狭湾の主要な観光地である舞鶴市、小浜市、敦賀市を繋いでいます。海岸線に沿った道のりが多いので、ツーリングを楽しむのなら最適です。移動する速さだけを求めるのなら、国道27号線と並行している舞鶴若狭自動車道が便利ですが、僕は50ccのスーパーカブなので走れません……。

 

 舞鶴を後にした僕のスーパーカブは、国道27号線を東に向かって走ります。時間は朝の5時ごろ、もうあと数分で太陽が姿を見せます。高浜町に入る少し手前、前方には田植えが始まっていない水田が見えてきました。水が張られた水面が大きな鏡のようで、大地一面に格子状に並んでいます。多くの鏡は、青い空を写していましたが、太陽が昇り始める一点だけが赤く染まっており、強大な鏡に写る赤と青のグラデーションがとても美しいと思いました。

 

 若狭湾を望むこのあたり一帯は、大和王権の時代から、塩やアワビそれに海藻といった海産物の名産地でした。そうした海産物は贄として、神事において神饌(しんせん)で捧げられます。大和王権に貢がれるものの多くが穀物である中で、平野が少ない若狭国の貢ぎ物の中心が海産物だったことから、御食国(みけつくに)とも呼ばれていました。若狭国と同じように御食国と呼ばれたところに、志摩国や淡路国があります。

 

 朝の5時半ごろ、内陸に向かう国道27号線とお別れして、海岸線を走る国道162号線に乗り換えました。観光地である小浜市内を走ります。海岸線では釣り人が糸を垂らしているのですが、その時に気になる看板を見つけました。

 

 ――御食国(みつけのくに)若狭おばま食文化館

 

 行きたい。見学したい。でも朝の5時半。営業時間は9時からなので見学は無理ですが、非常に関心がありました。現代は、冷蔵設備が輸送であろうと家庭であろうと行き渡っているので、新鮮な食材を誰でも手に入れることが出来ます。しかし、古代において若狭の海産物を大和王権に貢ぐというのは大変なことでした。そうした古代からの食文化についての博物館だと思われます。頭の片隅で、9時の開館まで時間を潰そうかとも思いました。しかし、それでは後のスケジュールに大きく影響します。今日中に大阪に帰れない。後ろ髪を引かれながら通過しました。ただ、若狭の御食国の歴史も網羅しているであろう展覧会が、日本を巡回しています。

 

 ――特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」

 

 東京から始まって、日本中を巡回しています。京都での開催は、2025年4月26日(土)からでした。まだ来年の話ですが、ぜひ足を運ぼうと思っています。古代の人々の食事について、深い理解が出来ることを期待しています。

 

 国道162号線は、若狭湾を舐めるように走る景観の素晴らしい道でした。実は僕が子供のころ、父親に連れられて阿納漁港の民宿に、夏休みになると宿泊した記憶があります。とても綺麗な海で、中学生の僕が海に潜って採ったウニやタコを民宿で食べました。特に、ウニの美味しさが別格で、その蕩けるような甘さに目を大きくしました。

 

 そうした懐かしい気持ちを胸に抱いたまま、海岸線を走ります。この時でも、まだ朝の6時過ぎ。誰もいない国道162号線を走るのは、とても気持ちが良かった。スピードは出しません。青い空と青い海を堪能しつつ、向かう先は三方五湖。三方湖の東側に縄文ロマンパークという美しい公園があるのですが、ここに福井県年縞博物館があるのです。営業時間の始まりは朝の9時から。ゆっくりと走りましたが、朝の8時頃に到着してしまいました。この公園には福井県年縞博物館だけでなく、若狭三方縄文博物館も併設されています。有名なのは日本博物館協会賞を受賞した福井県年縞博物館になりますが、若狭三方縄文博物館も素晴らしい内容でした。

 

 駐車場の片隅にスーパーカブを停めました。今朝の恐怖体験から、まだ朝食を食べていません。ガラガラの駐車場の縁石に座って、朝食の準備を始めました。スーパーカブの後部に固定されている荷物を解いて、ガスコンロを取り出します。お湯を沸かしてラーメンを作り、ひとり麺をすすりました。お腹が満たされると、今度は眠くなってきます。営業が始まる9時まで、公園の片隅で仮眠をとることにしました。