夢を見ました。部屋なのか広場なのか覚えていませんが、僕を含めて七、八人の男女が集まっていました。年配の髭を生やしたおじさんは僕にとても親切です。何やかやと僕に話しかけて気を使ってくれました。可愛らしくて気さくな女の子もいます。長身の男の人もいました。ただ目が覚めてみると、色々なドラマがあったはずなのにほとんど覚えていない。夢を見たことだけは覚えています。

 

 一番記憶に残っているのは、黒くて長い髪の毛が印象的なうりざね顔の女性の存在でした。とても美しい人なのですが、僕に対する態度が横柄なのです。近寄りがたいオーラを発する人でした。どのような経緯から始まったのかは覚えてはいませんが、夢の中で僕たちのグループは何かに襲われ始めます。一人二人と夢の中から消えていきました。僕に親切にしてくれた髭を生やしたおじさんは、僕の目の前で死にます。頭から血を流していました。パニック状態の中、僕も逃げようとします。ところが、僕に冷たく当たっていた黒髪の女性が僕に駆け寄ってきました。僕に抱きつき助けを求めるのです。女性の下半身からは血が流れていました。彼女を抱きかかえたまま、どうすることもできなくて……目が覚めました。

 

 真っ暗でした。テントの中、僕は寝袋に包まって寝ています。自分が舞鶴にある半島の山の上で野宿をしていることは直ぐに思い出せました。手を伸ばしてスマホを探します。時間を確認しました。朝の3時過ぎ。段々と頭の中が覚醒します。それとともに先ほどまで見ていた夢の記憶が消えていきました。思い出そうとするのですが、煙が消えていくように記憶がぼやけていくのです。完全に目が覚めました。耳を澄まします。火力発電所から聞こえていた低い音はもう聞こえませんが、風でそよぐ木々のざわめきは相変わらずうるさい。

 

 ザザザ……。

 

 夢の記憶は曖昧になりましたが、恐怖心だけは残りました。身を固くして、もう一度眠りにつこうとします。でも、眠れません。寝袋に包まりながら何度も寝返りを打ちました。普段の野宿であれば、日の出前に起きて、温かいラーメンを食べて体を温めます。ただ、日の出にはまだ2時間も早かった。悶々としていると、なんだか尿意を催します。生理現象には勝てません。起き上がり靴を履きました。テントから外に出ます。

 

 真っ暗でした。広場の周りに木が生い茂っているせいで、より一層暗い。広場の隅で、用を足しながら空を見上げます。沢山の星が瞬いていました。その星を見た時、ここから逃げ出そうと決めました。すぐさま荷物の梱包を始めます。テントや寝袋はしばらく乾かしてから畳むものですが、そんな時間すらが惜しい。この奇妙な場所から1秒でも早く逃げ出したい。そうした思いで一杯でした。小さなランタンと懐中電灯の光だけを頼りにして、荷物をまとめます。スーパーカブの荷台にテントや寝袋を固定して、衣服が入ったナップザックを背中に背負いました。念のために、忘れ物がないかもう一度確認します。スーパーカブに跨りました。キックペダルを踏みつけます。

 

 ブロロロロ……。

 

 ハンドルを握りましたが、アクセルを回すことは少し躊躇しました。なぜなら視界が悪いからです。スーパーカブのヘッドライトは、車のように明るくはない。弱い光に照らされた林道を走るのは、とても危険だと感じました。大きな石や枝が落ちているうえに下り坂です。こんなところで事故るわけにはいきません。ギアは1速のまま、ゆっくりとアクセルを回しました。森の中は、ライトで照らされた部分だけが白く光っています。その光を追いかけるようにして、坂道を下りました。周りがよく見えません。しばらく走ると、大きな倒木が道を塞いでいました。

 

 ――道を間違えた?

 

 焦りました。林道に分岐があることは分かっていたはずなのに、それでも間違えてしまいました。少しテンパっています。この狭い林道でスーパーカブを転回させないといけません。スーパーカブから降りました。ハンドルを大きく曲げて、車体を前後に動かします。ただ、そうした時間がもどかしい。誰かに追いかけられているわけではないのに、追われているような恐怖感が僕の心を襲っていたからです。

 

 再びスーパーカブに跨り、アクセルを回しました。しばらく登っていくと、分岐点があります。恐怖心から見落としていたようです。もう片方の下り坂を走りました。しばらく行くと、次の分岐点に到着します。来るときに確認した、建設関係の事務所とトラックが見えました。この道で間違いありません。少し安心しました。ここまで来たら大丈夫。少し緊張が解けて、大きく息を吐きました。しばらく走ると林道が開けて、森を抜けます。火力発電所が見えてきました。建物の至る所で照明が光っています。暗い帳の下、施設全体が銀色に浮かび上がっていました。その時、けたたましくサイレンが鳴ります。

 

 ビービービー、ここは立ち入り禁止です!

 ビービービー、ここは立ち入り禁止です!

 ビービービー、ここは立ち入り禁止です!

 

 滅茶苦茶に驚きました。心臓がバクバクと高鳴ります。来る時は、そのようなセンサーは作動しませんでした。ドキドキが収まらないまま、スーパーカブを走らせます。林道のガタガタ道が続きました。大きく道がカーブして、アスファルトで舗装された道に変わります。森を抜けたことを確信しました。今から思い返すと、夜間用の警備システムが作動したのでしょう。サイレンを設置したのは途中にあった建築関係の事務所だと思います。

 

 火力発電所の周りを、囲うようにして道が続いていました。時計回りに走ります。威圧感のある強大な円筒サイロを横目に見て逃げるようにして走りました。発電所の正門近くにトンネルの入り口があります。飛び込みました。トンネルの中はオレンジ色の照明が等間隔に光っています。その照明の光によって、真っすぐに続くトンネルの内部がシマヘビの様な模様になっていました。誰もいないそのトンネルを走っていると、縞模様がドンドンと後方に流れていきます。それはまるで、異世界と現代とをつなぐタイムトンネルのようでした。現実に帰れるという実感がこみ上げてきます。長いトンネルを抜けると舞鶴クレインブリッジが現れました。橋の上を走ると、前方に見える山の稜線の空がうっすらと青みがかっていました。日の出にはまだ早いけれど、太陽が昇る兆しです。先ほどまでの恐怖心が洗われいくようでした。

 

 ところで、夢って何でしょうか。一昔前のパソコンでは、ハードディスクの中の断片化されたデータを整理するためにデフラグを行っていました。現代的な夢の解釈って、そうしたデフラグに例える方もいます。一日活動したことによる情報を、夢を見ることによって記憶を整理して頭の中をスッキリさせるのです。ただ、古代の夢に対するイメージは違いました。よく見られるパターンは、「神のお告げ」です。

 

 第10代崇神天皇の御代、疫病が流行しました。その影響は甚大で国民の半数が死に絶えたそうです。詳細は省きますが、その対策について、崇神天皇は夢に現れた大物主神の言葉に従い大神神社を創建して、大物主神を祀りました。ギリシャ神話や旧約聖書にも、夢による神のお告げパターンがあります。現代と古代の夢に関する認識の大きな違いは、夢の出処になります。現代は自身の記憶がソースだと考えていますが、古代は現実を超えた夢という世界があると考えられていました。神のお告げパターンであれば、神がその人の夢の世界に訪れるという解釈になります。

 

 万葉集において夢は、「夢を見る」ではなくて「夢にみる」と表現されていました。「を」と「に」の違いについて理解するために、「夢」を「山」に置き換えてみます。「山を見る」という文章からは、山を仰ぎ見るような情景がイメージできます。これを「山に行く」と書き換えると、自分自身が山の中に入っていくイメージになります。「夢に見る」という表現は、現実とは違う夢の世界が存在していて、その夢の中に自らが入っていくという意味合いを含んでいました。夢は現実を超えた世界であり、肉体から離れた魂だけに許された世界なのです。

 

 3108番「うつせみの人目繁くはぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ」

 意訳――世間の見る目が厳しいというのならば、漆黒の夜の夢の中でいつでも姿を見せてほしい。

 

 夢という世界を信じていた古代の人々ですが、現代的な感覚で幼稚だと決めつけてしまうのは、僕的には違うような気がします。心理学の世界では、自我の底には深層心理があると考えられています。この考え方は、仏教も同じで、自我のことを「意識」、無意識のことを「末那識(まなしき)」と表現していました。自我に対して無意識の広がりは甚だ広いそうです。そうした「末那識」の底にはさらに「阿頼耶識(あらやしき)」がありました。阿頼耶識は蔵識ともいい、この世の全ての関係性が蓄積されているそうで、イメージ的には大地に近く、僕たちの自我はそうした広大な大地に生えている草木の様なものだと解釈されています。つまり、僕たちは一個の自我として独立しているように見えますが、深層心理は根っ子のところでは繋がっているのです。

 

 僕は舞鶴の山の中で怖い夢を見たわけですが、これまでに出会ったことのないような登場人物が僕の夢の中に出てきました。つまり、この夢は僕の記憶だけで生成されたとは考えにくい。もしかするとこの土地特有の何かに影響を受けたのかもしれません。別にオカルト的な話に展開したいのではなく、人間の心って人知を超えた不思議さがあるんだろうな……と思い返しています。