ザッ、ザッ、ザッ……。

 

 聞きなれない音の所為で目が覚めました。真っ暗で何も見えません。一人用の狭いテントの中、寝袋に包まりながら握りこぶしを固めました。テントによってプライべート空間が確保されているといっても、布切れ一枚の防御力なんて高が知れています。もし襲われたら、寝袋の中なので身動きができません。心拍数が少し上昇しました。少し怖い。とにかく、正確な情報が欲しかった。耳に全神経を集中して、外の様子を探ります。

 

 ザッ、ザッ、ザッ……。

 

 一定のリズムを伴ったその音は、砂利を踏みしめる足音でした。動物ではありません。人間の足音です。大きく息を吐きました。野生の熊による被害が、よくニュースになっています。そのような最悪の展開ではありませんが、だからといって緊張が解けたわけではありません。人間だって怖い。相手がそのつもりなら、今の僕は抵抗することが出来ません。耳を澄まします。足音はテントの前を通り過ぎると、経ヶ岬に続く道に向かって去っていきました。きっと釣り人でしょう。時間は朝の4時ごろでした。日の出にはまだ早い。

 

 昨日、テントを設置している時に、釣り人とカメラマンが経ヶ岬に向かって歩いていきました。カメラマンは夕日を撮影した後に帰ってきましたが、釣り人は帰ってきませんでした。カメラマンの話によると、一晩中、釣りをするとのことでした。経ヶ岬の先端で釣りをする……僕は付き合い程度でしか釣りをしませんが、とてもロマンのある話です。

 

 完全に目が覚めてしまったので、僕も寝袋を抜け出しました。靴を履いて外に出ます。野宿の朝はいつも早い。普段の生活とは違い、太陽が沈むころに食事を始めて、20時を回った頃には酔いつぶれているからです。普段は5時間くらいしか寝ていないので、僕にとって8時間は寝すぎです。朝といってもまだ真っ暗ですが、出かける支度をはじめました。

 

 まず、寝袋を取り出して裏返します。その寝袋をスーパーカブのハンドルにかけました。人間というのは寝ている間に多くの汗をかくので、短時間でも干しておいた方がよい。テントも干すのですが、畳まずにスーパーカブに立てかけました。空気にさらせば直ぐに乾きます。次に朝食の準備になります。野宿の朝は、いつもラーメンと決めていました。ガスコンロで湯を沸かして、マルタイラーメンを茹でます。ゴールデンウィークといっても朝は寒い。気温は10度くらいです。熱いラーメンを食べるとお腹の中から温まりました。

 

 食事が終わると荷造りになります。テントを畳み、寝袋を畳み、ゴミもまとめました。スーパーカブの後ろの荷台に固定するのですが、これには順番があります。まずコンロや七輪、食器やゴミを詰め込んだサイドバッグを荷台に被せます。その上に銀マット、寝袋、テント、三脚椅子をセットしてゴムひもで強く固定しました。着替え等の軽い荷物はナップザックにしまってあり、これだけは背負います。すべての準備が整ったので、今から僕も経ヶ岬方面に向かうことにしました。

 

 太陽は完全に昇っていました。時間は朝の5時くらい。少し心配ですが、スーパーカブは海岸に置いていきます。悪戯をする人はいないでしょう。経ヶ岬の灯台に向かって林道を歩きました。左手に海岸線を眺めながら急な坂道を上ります。鬱蒼と木が生い茂りトンネルの様になっていました。眼下では、大小の岩が波に洗われています。50代にしては体力に自信があるつもりでしたが、息が切れます。片道1.2kmほどの山道を登りきると白い灯台が現れました。

 

 経ヶ岬灯台は、明治31年に初点灯された国の重要文化財になります。保存状態がよく、青い空をバックにして写真を撮りましたが白色が良く映えました。デザインはイギリスの技師によるもので、材料となる石は140m下にある海岸から削り出した安山岩だそうです。安山岩は、先日に訪れた玄武洞と同じくマグマが冷えて固まった火山岩でした。灯台の要であるフレネル式閃光レンズは、高さが2.8メートル、重さは5トン。この巨大なレンズを円滑に回すために、本体は水銀が満たされた水槽に浮いているそうです。現代の灯台と違い、19世紀に設計された灯台はデザインが素晴らしい。中世の貴婦人が、凛と佇んでいるような静謐さがあります。

 

 灯台の歴史について、今年の正月に紀伊半島の最南端にある潮岬灯台に訪れた時に少し勉強しました。幕末に開国を迫られた日本は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4か国と江戸条約を結びます。この条約によって、日本は灯台の設置を国際的に約束させられました。当時の海外との交流は、現代のように飛行機がないので船になります。安全な航海のためには、灯台の設置が急務だったのでしょう。日本の岬に次々と灯台が設置されていきました。

 

 朝が早いこともあり、灯台の周辺には誰もいません。ウロウロと見学していたら、黒くて大きなアブがどこからともなくやってきました。僕の周りをブンブンと飛びまわります。何だか刺されそうだったので、そこからすぐに退散しました。

 

 経ヶ岬の観光はこれで切り上げても良かったのですが、折角なので岬の海岸付近まで行ってみたい。ただその為には、元の場所近くまで一旦戻る必要がありました。急な下り坂をサクサクと降りて分岐点に到着すると、今度は経ヶ岬の先端に向かいます。林道が続きました。釣り人もこの道を歩いたのでしょうが、結構な距離があります。

 

 到着した経ヶ岬は、世界の果ての様な趣がありました。経ヶ岬のこんもりと盛り上がった200mの山は、燃え盛るような新緑に染められています。対して、海岸付近の岩場は生きているのもがいない。カモメやフナ虫もいない。波すらも死んだように穏やかです。ただ、灰色のゴツゴツとした岩だけが、累々と広がっていました。その対比が面白い。

 

 足場がとても不安定なのですが、好奇心に駆られて降りていくことにしました。ただ、階段のように整備された所はありません。絶壁になっているところや、段差が人間の身長くらいあったりするので、とても危険です。落ちて怪我をしても、誰も助けに来てくれません。降りることが出来たとしても、後で登ってこれるのかという心配もありました。思った以上に緊張感があります。

 

 岩には様々な表情がありました。つるんとした表面の石柱が屏風のように並んでいるものや、岩に蜂の巣の様な穴が一面に開いていてキノコのようにモコモコしているもの。更には、自然に誕生したモアイ像の様な岩が海を眺めていました。そのどれもが2mや3mの大きさだったりするので、下から見上げた時に恐怖すら感じました。夢中になって写真を撮りましたが、写真ではその威容は写し取れません。どうしてものっぺりとしてしまうのです。しばらく海辺で佇んでいました。チャパチャパとした小さな波音が繰り返されます。水平線の向こうでは、小さな点の様な船が横切っているのが見えました。その点だけが、生きていました。

 

 相棒のスーパーカブの所に戻った時、7時を回っていました。経ヶ岬への往復だけで2時間以上も使っていたのです。6kmくらいは歩いたでしょう。何だか不思議な体験でした。スーパーカブに悪戯されていないか心配だったのですが、杞憂でした。丹後探索二日目のスケジュールは、昨日以上に過密です。次の目的地は、20kmほど先にある伊根の舟屋でした。スーパーカブのキックペダルを踏みこみます。

 

 ブルルン!

 

 エンジンが掛かりました。アクセルを回します。急斜面をジグザグに登る林道をギア1速で駆け上がり、国道178号線に合流します。ギアを3速まで引き上げて、経ヶ岬を後にしました。