友人の一人にサックスプレイヤーがいます。20代の頃より彼の影響で多くのジャズ音楽を知るようになり、50代になった今でもマイルス・デイビスを始めとしてビル・エバンスやスタン・ゲッツといった一時代を築いたジャズミュージシャンのアルバムを好んで拝聴しています。そんな彼が堺市にあるHOUSE of JAZZでライブをするというのでお邪魔することにしました。ライブの開始時間は昼下がりの15時で、夜が似合うJAZZには似つかわしくない時間帯になります。仕事を早めに終わらせて堺に向かうことにしました。

 

 僕は大阪北部地域にある摂津市に居住しているので、大阪南部地域の堺市まではかなりの距離があります。これまでに電車を使って堺市に行ったことがないので、インターネットの地図を開いて調べてみました。大阪市内から堺市へは6本の路線が南北に走っており、大阪湾側から順番に南海電鉄本線、阪堺電車、南海電鉄高野線、JR阪和線、大阪メトロ御堂筋線、近鉄南大阪線が走っています。HOUSE of JAZZに行くためにはそのうち阪堺電車がとても便利で花田口駅を降りたらすぐそこになります。道のりとしては、摂津市から阪急電車に乗って動物園前駅で降りれば、阪堺電車の新今宮駅に乗り換えができます。摂津市からHOUSE of JAZZまでは、遠いわりには乗り換えが少なく案外とアクセスが良いことを知りました。

 

 動物園前駅は、通天閣で有名な浪速区とあいりん地区がある西成区の境にあり、大阪ではもっともディープな盛り場になります。ところが大阪に住んでいるといっても、僕はこの辺りの地理に詳しくありません。動物園前駅で降りましたが、阪堺電車の駅を見つけるのに一苦労します。地下を歩いて階段を上り下りしてやっと阪堺線の駅らしきものを見つけました。ところが、小さなホームがあるだけで改札口がない。

 

 ――どういうこと?

 

 電車に乗るためには改札口を通るという思い込みが、僕にはありました。しかし、路面電車の阪堺電車は、どうやらバスのように車内で料金の支払いをするようです。でもこの時点ではまだ確証がありません。更には、ホームは大胆なスプレーアートで落書きされまくっているのです。

 

 ――これは、デザイン……なのか?

 西成区といえば、ホームレスやヤクザ、それに飛田新地といった歓楽街がイメージされます。実際に道端で寝ころんでいるお方も見受けられました。同じ大阪だというのに異国情緒たっぷりです。

 

 ――摂津住民 in 西成 (by Sting / Englishman in New York)

 

 少し不安に駆られました。最近の僕は、大阪の歓楽街に行くことがありません。酒ではなく、少し人の多さに酔いそうです。そんな時に、急に声をかけられます。

 

「アノー」

 

 ドキッ! としました。振り返ると、白髪に髭をたくわえたダンディな白人の老紳士が困った顔で立っています。お隣には奥さんらしきご婦人が寄り添っていました。

 

「なんでしょうか?」

「JRシンイマミヤエキハ、ドコデスカ?」

 

 普段は家で籠っている僕は、海外の方に声を掛けられるというシチュエーションに全く慣れていません。格好良く英語で返せれたら良いのですが、英語は喋れません。その上、阪堺電車の到着時間が2分前に迫っていたのです。完全にテンパってしまいました。

 

「あの、あの、新今宮? えーと、僕も詳しくなくて……」

 

 見上げると、高架になった環状線の新今宮駅がビルの谷間から見受けられます。しかし、入り口が分かりません。慌てつつもスマホを取り出してグーグル検索をしました。スマホに従って老夫婦を案内した後、慌てて阪堺電車の新今宮駅に戻りましたが、残念なことに電車は出発した後だったのです。

 

 ――ガーン!

 

 再度、スマホで検索してHOUSE of JAZZに最短で行けるルートを探しました。検索によると、南海電鉄本線の新今宮駅から特急に乗り、堺駅で降りるルートが一番早いことが分かりました。堺駅からHOUSE of JAZZまでは少し距離がありますが、それは仕方ありません。でも残念なのは、時間通りに到着できたはずが、検索結果によると15分の遅刻になってしまうことです。これ以上遅れるわけにはいきません。南海電鉄の新今宮駅まで走りました。目的の駅は、老夫婦をご案内したJRの駅の隣になります。同じところを行ったり来たり。なんだかな~。

 

 新今宮駅から南海電鉄の特急サザン号に乗りました。初めての南海電鉄、初めての新今宮駅。嫌な予感はしていたんです。冷静になって考えれば分かることなのですが、慌てているので右も左も分かりません。慌てて電車に乗り込むと中はガラガラ。とてもキレイな内装でした。僕が乗ったのは特急になります。JRなら特急料金が必要でしょう。見るからに高級そうな雰囲気から追加料金の発生を覚悟しました。時間に遅れるは、余計な金を払うことになるは、踏んだり蹴ったりです。気を取り直して座席に座りました。ここまで来たら、なるようになれです。ポケットから読みかけの本「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」を取り出して、読書を始めました。

 

「あの、すみませんが……」

 

 案の定、声を掛けられました。若い女性の車掌さんです。このような時、人はどのように対応するのが良いのでしょうか。「ごめんなさい」と謝るのか、「知らなかった」と言い張るのか、それともキレて怒るのか。僕は冷静に問い返しました。

 

「なにか?」

 

「この席は指定席になります。券はお求めになられましたか?」

 

「いえ。慌てていたもので購入が出来ていないです。……どうしたら良いですか?」

 

 優しくてチャーミングな車掌さんでした。僕の過ちを責めることなく、指定席の料金を支払うか、自由席への移動を促されました。特急料金は発生しないようです。目的の駅まで、あと一駅です。指定席の料金を支払うつもりはありません。自由席への移動を選びました。すると、その可愛い車掌さんがわざわざ自由席まで案内してくれます。なんて優しい車掌さんなんでしょう。心がほっこりしました。その後、堺駅に到着した僕は、車の通りが少ない大通りで信号無視をしてまで急ぎました。目的の店に近づきます。サックスの野太い音が漏れていました。やれやれ、やっと到着です。

 

 HOUSE of JAZZは、大通りに面するビルの一階にありました。壁は赤いレンガが一面に施されており、入り口は分厚い木の扉。店内に入ると天井に4枚羽のシーリングファンがゆっくりとクルクル回っていました。JAZZ発祥の地アメリカを感じさせる店づくりです。店内は奥につづく細長い間取りで、丈夫な木材で設えられたカウンターが同じように奥に伸びていました。カウンターの雰囲気もザ・アメリカン。迷わずにカウンターに座りました。まるでカウボーイになったような気分です。一般的なBARであれば、カウンターから見える向かいの壁はウイスキーやグラスが並べられています。しかし、HOUSE of JAZZは違いました。所狭しとレコードが並べられているのです。正にJAZZを聞くためのお店です。

 

「生ビールを」

 

 ドリンクを注文した僕は、視線を奥に向けました。友人が中央に立ちサックスを吹いています。暴力的な野太い音で、地面を叩きつけるようにして吹いていました。瞑想しているのか目は瞑ったまま。激しくサックスを揺さぶっています。僕が到着したことに全く気づいていません。かなり集中力しています。友人は常々、僕に語っていました。

 

 ――サックスは気持ちがええねん。

 

 本当に気持ちがよさそうです。あまりの快感に恍惚としていました。音楽には色々なジャンルがあります。高尚なクラシックから、ロックやテクノ、様々な国のPOP音楽。それぞれに歴史があり特徴がありますが、JAZZという音楽を一口で説明するのはとても難しい。若い頃に、嫁さんにJAZZのことで問いかけたことがあります。

 

「火曜サスペンス的な音楽のこと?」

 

 と返されました。火曜サスペンスが何かを知らない方もいるでしょうが、要はJAZZという音楽は多くの方にとって馴染の薄い音楽だと思うのです。ちょっとJAZZを知り始めると、スイングや即興音楽、それにビバップやモードといったJAZZの専門用語に出くわします。また演奏スタイルも様々で、グレンミラーのようにオーケストラで演奏するJAZZがあるかと思えば、今回のようにサックス、キーボード、ギター、ウッドベース、ドラムの小編成のJAZZもあります。JAZZを聴き始めた頃の僕は、その間口の広さに驚かされました。

 

 僕なりには、JAZZは一期一会のドラマだと考えています。オーケストラにしてもポップ音楽にしても、先に譜面があり、譜面の進行に従って正確に演奏がなされていきます。ところが、ビバップ以降のJAZZはそうした譜面がなくて、テーマとなるメロディーが用意されているだけなのです。その基本的となるテーマを、演奏者は自由に演奏して良いのです。その自由さにセンスが問われます。

 

 そうは言っても、一人で演奏するわけではないので、皆が勝手なプレイをすると音楽そのものが成立しません。ライブで演奏されるJAZZには基本的な構成があります。まず、テーマをメンバー全員で演奏します。どのようなテーマでも良いのですが、長い歴史の中でJAZZで演奏されがちなテーマがあります。そうしたテーマのことをスタンダードと呼びます。――テレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディングテーマで「FLY ME TO THE MOON」が歌われていたことをご存じでしょうか。あれはJAZZのスタンダード・ナンバーになります。

 

 皆でテーマを演奏し終えると、ここからそれぞれの楽器のソロプレイが始まります。一般的には、最初のソロプレイは、メロディーラインを担当するサックスやキーボードが担うことが多い。先程演奏したテーマを基にして、オリジナリティー溢れる調理が始まります。この場合、テーマから外れすぎるのはセンスがありません。例えるなら、和食のコース料理なのにカレーライスを出してしまうと、それまでの繊細な和食のイメージをぶち壊してしまいます。でも、和食を提供したとしても、似たり寄ったりで変化がなければ、それも興ざめです。サックスの友人は、特に手癖を嫌いました。いつもいつも同じでは駄目なのです。瞬間、瞬間に溢れ出すインスピレーションに従って創造し続ける音楽が最高なのです。創造のドライブ。感情のビックバン。

 

 ソロプレイを支える他のプレイヤーは、そうした仲間のプレイに影響されます。次は自分の番です。目の前の演奏を超えるソロプレイが期待されます。僕はまったくの素人ですが、そこには会話がありました。競い合いがありました。支え合う絆がありました。僕は将棋が好きなのですが、将棋は一人では出来ません。二人がしのぎを削るから面白い。

 

 ――そうくるか。なら、俺はこのように返してやる。

 

 JAZZと将棋は、よく似ている。その瞬間でしか成立しない、演奏者にしか分からないドラマがありました。リレー競技でバトンを手渡すように、ソロプレイでテーマを繋いでいきます。ギター、キーボード、ウッドベース、ドラムプレイ。

 

 それぞれのソロ演奏が終わると、再度テーマラインが皆の協力で演奏されます。その様子は、空へ空へと舞い上がって夢見心地で浮遊していた状態から、一気に現実世界に返ってきたような感覚でした。小説の世界では異世界物が人気ですが、まさにあれです。異世界で縦横無尽に夢想していた主人公が、晴れて現実世界に返ってくる。そんな面白さがありました。一曲を通して、正にドラマなんです。

 

 脚本を用意しないJAZZという音楽は、人生にも通じるような気がします。僕は、HOUSE of JAZZに向かう道中でハプニングの連続でした。でも、それが面白い。その瞬間瞬間で、最高のものを作り上げようとする姿勢こそが問われているような気がしました。昨日でも明日でもない。今という瞬間に全てを注ぐ。