母方の祖父母〜つなぐ未来への想い | ★虹の羽の天使★ヒプノセラピー☆ヒーリング☆バキュ-ミング☆パステルアート☆ブレスレット

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2024年、春。母の病気がわかり、残された日々をどう接していけるか?母と家族が悔いの無いように模索しながらの毎日。セラピスト活動は縮小しています。

こんにちはニコニコ (少し補足しました)
寒さ暑さも彼岸まで、ですね。朝晩はだいぶ涼しくなりました。(Wikiで調べたら逆でした、暑さ寒さも〜)

お盆休みも終わり今日からまた 会社へ出勤です。
(ブログもだいぶお休みしていましたが、やっと復活です。)


台風一過でお日さまが出てきたタイミングで 会社の裏のいつもの場所へ行ったら 彩雲が照れ


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すぐに消えてしまったのでベストタイミングでした。

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空に向かって このタイミングに感謝をつぶやいていました。
声は出さないけど 歌も歌っていたら 母方の祖母が浮かんできました。

ああ、お盆が終わるからだなあ〜

すると母方の祖父も浮かんできて。



月山で遭難した祖母のことを 少し誤解していたことに、気がつきました。
当時は小学生で 事情がよくわかっていませんでした。母方の兄妹夫婦総出で捜索するもみつからず、現地の警察犬や消防団に何日も捜索してもらったそうです。7年経っても見つからず正式にお葬式をあげました。行方不明の翌年から 毎年 親戚一同で慰霊登山に行きました。大人が話すには、急に山の天気が嵐になったからって、老人会のバスに置いていかれた祖母が可哀相、ということを そのまま 信じていました。

 大人になった今は時折 祖母のために祈りを捧げたりしていました。
  


おじいちゃんは都合が悪く 一緒に行けないので今回は諦めるよう おばあちゃんに言ったけど、押し切って行ったそうです。



祖父が 亡くなる頃に入院していた病院が たまたま うちから 近くで、外孫の中では 私が一番 多くお見舞いに行ったと思います。
もしかしたら 内孫よりも。
ある日 おじいちゃん、と話しかけたら 私の姉が来たと思って 話しだしたので 軽くショックを受けました。今なら分かるんですけど、高校生位だったので分からなかった。でも とっさに姉のフリをしました。遠くに行った姉が久しぶりに来たと とても喜んでくれたから。


祖父が亡くなって 数年後 私は結婚して長女を出産。生まれた日の夜 私の右横に亡くなったはずのおじいちゃんが 輝くような笑顔で 私の顔を覗き込むようにいたのです。 
はっきりと 満面の笑みで 、どこか あったかくて 白く光って。何も言わないけど、きっと出産を喜んでいるのと 姉と間違えたことを わびているのだなあと 思っていました。





   わたし


この2人がいなければ存在してなかったんだなぁ



おばあちゃんは月山で嵐の夜、たった一人 恐怖と闘い、もしかしたら痛い思いをして亡くなったのかもしれない。
でも念願叶って行きたかった月山へ行けたことは、嬉しかったんだと思う。

そこまでのおばあちゃんの人生は、孫として たまにしか関わっていないから よく知らないけど、とにかく、幸せだったんじゃないかな。


おじいちゃんが 枕元にきてくれた意味も、少しかわってくるよね。姉と間違えたことなんて、どってことなくて。
長女が生まれたことへの 祝福と 母子ともに元気に出産できたこと、ここからの未来への感謝と祝福が込められてる。

とにかく光り輝いて (後光がさすというのかな?)あったかいおじいちゃんは 今もはっきり覚えています。






短い時間のはずですが、いつの間にか祖父母への 猛烈な感謝が湧いてきて 両親、姉、弟へ    そして 娘たちへと 感謝リレーのような想いが 溢れました。
あなた方がいたから
 〜今のわたしがいて〜娘たちがいて〜
未来の娘たちの子供たち、そのまた子供たちがいる〜


   ありがとう
   ありがとう
   ただ ただ ありがとう

   生んでくれて ありがとう

  出会ってくれて ありがとう


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気がついたら 涙でビショビショになってました。

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台風の雨風と ともに 母方のご先祖さまへの 誤解が洗い流されたようですおねがい