『だるまん講習会』のために6月末に仙台に行ってきました。30日には地元の先生のお世話で、ボランティアの方のガイド付きで鹽竈(しおがま)神社と志波彦神社を参拝させていただきました。また、道開きとしての祓ケ崎稲荷神社も宮司さんの説明とともに参拝させていただくことができました。
ちょうど前日と前々日にも、神々との関係での陰陽五行の講習会を行わせていただいた関係で、とても勉強になった次第です。
ただ、いつも思うことなのですが、資格をもったボランティアさんの解説も、宮司さんの言う縁起解説も、一方的な常識感に縛られすぎではないか?と疑問を持ってしまうのです。
鹽竈神社の祭神は塩土老翁(しおつちのおじ)、武甕槌(たけみかづち)命、経津主(ふつぬし)命ですが、
本来は人々を導く立場(民衆側)に立つ塩土老翁がメインです。しかしこの神は別宮に祀られ西を向いています。
一方で朝廷側の武神である武甕槌命、経津主命が正面の南向きにデーンと構えて構えています。
なぜ主役の塩土老翁が別宮扱いでしかも、西を向いているのでしょうか?
ガイドの方の解説では、海の神様である塩土老翁は海を向いており、武甕槌命、経津主命は大地を向いているという話です。
しかし…ですが
西の大陸からやってきた渡来を中心とした朝廷は次々に東へと軍を進め、日本をピラミッド型の文化へと染めていきます。もともと縄文的な純粋日本人だった東側の民は蝦夷(エゾ…まむしの野蛮人)と言われ、結局はお金と地位に買収されていくのです。
簡単に言うと、征服者が高貴な存在とされ、先住者は低俗な羊とされる…という世界的な原則が働いているのです。
しかも、一般民である私達も皆、この考え方に毒されており、征服者を神として拝むのが当たり前と思っているのです。
陰陽五行的には北の方位を「水」とし、「水」とは神々の居る高貴な方位と考えます。しかしこの方位に居る資格を得てるのは、朝廷側なのです。天皇そのものも北という高貴な位置に居る存在とされます。
一方の民衆側に立つ神は、もともとは純粋な日本神ではなくても民衆側を向いた者は西を向く祭殿に収められるケースが多いのです。有名なところでは出雲の大国主命です。ここでは塩土老翁もその立場にあります。
ただ、古事記によるとこの塩土老翁も、もとは神武天皇の系列につながる朝廷側の援助者として登場します。本来の日本人の姿勢はとても寛容で、異民族でもなんでも受け入れていく姿勢がありますから、仮に塩土老翁が日本列島の基本的な神であれば、この姿勢があってもおかしくはないはずです。
それとそっくりなのが道開きの神として有名な猿田彦神です。前述の祓ケ崎稲荷神社の主祭神も猿田彦神なのです。
ここまでの話で、現代でもそのままだということに気づきませんか?
西からやってきた大陸側の朝廷とは、現代では西側諸国です。彼らこそが神のように政府からマスコミから教育から、ほとんどすべてを支配し、その言いなりになって日本の国民を虐げる暴虐を続けています。しかしお人好しの日本人は気づかないのです。
もういいかげん、気づくときが来ています。
真に尊敬されるものとはなにか、真の神とはなにか、自らの心のうちの深いところに目を向けて、その感覚を持って考えて行動すべきなのです。
五行では、こうして真の自我を得た者を「水」の存在…と考えます。そうです。もっとも高貴な存在です。仏教で言う菩薩です。現在でもここに居座っているのがニセの神です。地位的に高いとされる征服者です。
私達が羊のような家畜の意識で生活している存在から、ひとりひとりが「水」という菩薩のように高貴な存在になりえる…というのが五行の教えなのです。