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① シナプス反応

ワールド・ベースボール・クラシック。

通称 WBC。その三連覇がついえましたね。


おひさしぶりですが、書いてます。

ぁ、おもに社員にまた他に(笑)


WBC‥


始まれば、終わるし、
途切れたら、また
始まる準備が始まる。


讃えるとか戦犯を探すとか
そういった感情はまったくなくて、
ただこういった事象に照らし

我が身に置き変えて
改めて自ら戒めてみたり、

思いを新たにしたり。


それでいいではないかと思う。


さて

先だって、お得意さんの仲介もあって、
後輩たちが、ビジネスマナーの研修に赴き、
その後談が伝わってきた。


いろいろと習ってきたようだが、
今から20年ほど前に自分で出席した時の
メラビアンの法則だとか、ハロー効果だとか、
言い方や、若干の時間表現的な差はあるものの、
ぁぁ、変わらないんだなぁと思いつつ聞いていた。
(私の時はJAL出身の元CAの方で、
今回はANA出身だっとか)


その中で、CA(キャビンアテンダット、つまり

昔風に言うとスチュワーデスさん)として採用され、
その会社の一員となった暁に
その会社のイメージやらクオリティを
維持するために いろいろな決め事、
いわゆるマニュアルと呼ばれる物の中で、
「髪型」に関して、より多くのページ(項目)を
割いているというくだりがすぐさま思いだされた。


それは何より、個々の拡大解釈の
入り込む隙をなくすために、
詳細に渡る決まり事を文字に起こすため
より多くのページを要しているという。


よく聴く「そんなの 常識的に考えれば‥」とか、
「‥ってことは、それ以外なら いいってこと?」とか。


気になるとか ならないとか、
不便を感じるとか感じないとか、

そう言った、それぞれのパーソナリティに起因する
感受性の感度や程度に頼った


"見えない普通"に基軸をゆだねることは、
大勢の社員を抱えれば抱えるほど、

(価値観の多様度があがるほど)
あるいは、サービス業の最高峰なのだろうと言う
世間的な期待度に応じて求められてしまう完成度に
沿わねばならぬ宿命を背負うほど、

そんなことまで?を網羅する
必要性が高くなるということだろう。

ダメなところほど、(というか大概か)
抽象的、観念的な言い回しで、

「清潔な髪型にすること」‥と、
一行でくくって表現してはいまいか?
これを「明瞭簡潔」と勘違いしてはいまいか?

ダーツでそれを自分に当てはめていまいか?(笑)


「所作」から「運動」に高みを増す。


(②につづく)

コメ的エントリー to めがねざる殿 ~お稲荷さんが汗かいたらぺったんこ倶楽部 発足~

目下は目上を褒めない

『目下は目上を褒めない』 知ってる?


文体や敬語が正しくとも、
言葉の意味とその意図が合致していても、
下手をすると 伝わり方が変わってしまうという事がある。


冒頭と似たような言葉の問題に、

『おまえが それを言うか(言える立場か)』
と言うのも有る。


ダーツや、会社、それにブログ 等々、
顔の見える見えないじゃぁなくて、
その言い回しから、あらららららと 目を覆うことも
首をひねることも 時として目にする。


それは、文字を知らないとか、
文法的に云々とは違って、
言い方、ニュアンスの立て方、
その育ち、根性が透けて見えてしまう事の
バツの悪さ感であって見てる方が
ツライわ的状況を指してのこと。


自分の発言だとて、気がつけば、
時に恥じ入ることとてある。


見直せが誤字脱字、
途切れた文体とて 見つけた時には、
画面の向こうで、対人ならば別れた後に、
やっちまったと赤面恥じ入る事も少なくない。


それはそれで、ある程度の年齢や
社会的立場をもって臨む場所に赴けば
たしかに許されざるところ。


しかし、問題なのは、むしろ逆で、
敬語は敬語として、言葉の使い方としては、合っていても
使う場所、用法が間違っているということの方が問題で、
ニュアンスという 誰もが指摘しずらい、されずらいものだけに、
そのまま放置され、何とはなしに鼻につくという人物評が
自他ともに認識できないまま感情操作をミスする可能性がある。


先日、会社での出来事。


AさんとB氏いう入社経年10年、年齢40代の同僚に、
C君という20代半ばの新入さんが談笑の場。
C君は、Aさん、B君とは、挨拶を交わす程度の関係だが、
たまたま社内自動販売機で相席し、先輩たちの
やりとりを 相槌と共に聴いていたという事らしい。


Aさんは、B氏に冗談交じりにツッコミ、絡んでいた。


それを聴いていた、C君がAさんに向かって、
「言いますねぇ ?!(笑)」 と言ったとのこと。


このニュアンスの微妙さが、あなたは伝わりますか?。(笑)


彼は、(学問的に)頭もいい、理解力も回転も申し分ない。


俺自身も面接に立ち会ったので、まぁ、昔で言う所の
文武両道とでもいうか(古っw)営業職志望の有望株だ。


それでいて、複数の世代間を跨いだ先輩らが、


『なんとなく,,,,なんというか・・
生意気というか、んん・・っていうか・・今の子と言うか、
まぁ、よく言えば物怖じしないというか?、んんん・・・』 


総じて、そのような感想が寄せられてきた。
その皆が感じる、正誤の範囲を越えた「心象」部分での
モヤモヤは、なかなか人は、解明できないし、
当然、そうなれば言葉で指摘も表現もしずらい。


その具体的事例として、今回 たまたま
この新人のC君に、日頃、声かけしてやってくれなと
俺から頼んでいたCさんだからこそ、
持ちこんできてくれた話だった。

その直後、この文法も正しい、敬語も使っている。


この形式上 間違いと言えないC君の言動について、
焦点をあてるべく、コミュニケーションを密にしようと試みた。


俺自身が教育資料として、半ば書きあげた資料を
全員配布の前に彼に渡し、


「これを 読んでおいてくれ?!、まぁ、殴り書きの途中段階だが、
誤字やら脱字やらあったら見ておいてくれるか?!」


そう言って資料を渡した。午前中に渡した資料を


彼は、午後にはもう、俺のもとに持ってきて、
文中の誤変換の一文字、一ヶ所と、
文中「効果に関する"利き"だか"効き"だか」に関して、
どちらだか判りませんでした。と申し送りしてきた。


そして、さらに、


『どちらでもいいような気もしますが、
 ネットででも検索すれば出てきますので、
 調べてみた方が間違いないと思いますよ。』


なぁーるほどぉー 

こーこ かぁ~ めっけ( ゚Д゚)σ



このニュアンスの微妙さが、あなたは伝わりますか?。(笑) 2



未だ、彼には、この件は伝えていない。

とてもデリケートな問題だから。


このC君がこれを告げれば、

どういった表情でどう理解するかは、
ニュアンスである以上、その浸透具合は、

道理の真偽と言うよりも

感情の扉を抜けられるかどうかに掛かってくる。


だからこそ、
ただただディベートによって、歳と身分に任せて
頭から押し込んでもいい結果が生まれないこともある。


とは言え、絶対的権力、理不尽というものにも、耐性がないと
これまた 今後、ツライことにもなる、ほんと難しい。


つまり、随分遠回りしたけれど、これをダーツに
話を持ってくると、冒頭の 『おまえが言うか?』に繋がってくるのだ。


日頃、技術的にもスタッツ的にも自分よりも高く、
さらに、3本に2本、3本をコンスタントに入れてくる相手に対し、

「ナイス・カバーです!」は無論、
「ナイス・ワンです!」、「ナイス・キープ!」とは、
敬語も使ってるし、自分から見ればナイス!かも知れないが、
それは、その人の日頃から見れば、ミスであって、
「その、らしくないミスは、どうしちゃったんですか?」はあっても
「ナイス!」とは、本来の礼儀「目下が目上を褒めるものではない」
から見れば反れてしまっているということに他ならない。


敬語も使ってる、けなしている訳でもなし、
用語的にも間違いはない。が、やはり用法の問題なのだ。

 

細かいと思うかもしれないが、
その用法を考慮しないという心根は、
あらゆるところで きっと顔を出す。


そして、中には開き直ったりするのもいる。(笑)
だいたい・・とか、お決まりの前文を持ちだしてから。


C君の言う、「言いますよねぇ」は、言い換えれば
「アンタ よく 言うよねぇ」という意味に通じてしまうし、


俺の誤字やら文法のあやふやの指摘までは、
お願いしたことだから、ともかく、
頼りないとは言え、目上、上司に向かい、
悪びれずとは言え、


「間違いかどうか、なんだったら、
ネットで調べてみればわかるから、
やって見た方がいいですよ。」


どうやって調べるかとか、
そうした方がいいとかの分別、判断くらいは、
君に指摘されんでもするわぃな・
・ということにもなる。


「おまえが言うか?(笑) 」

自戒もこめて
つくづく言葉の難しさを知る。


無償で教えてもらい習う立場でありながら、
教え方が悪い、下手だとか、正しいとか間違ってるとか
研究してないとか、まぁ まさしく 「おまえが言うか」と
教える方も思っていることだろう。


もちろん、これがビジネスなら話は違う。お客様だもの(笑)。


その辺りのニュアンスを 判るようになれれば、
例えば、同じプレイヤーとして上を目指したいと言っても、
技術だけで上がれるのは稀、誰かしらが手を差し伸べてくれ、
上へ登るための階段環境が作られていくと、
もう随分たくさん見てきた。 まぁ、参考までに 。。

カラ投げ考

某SNSで、昨日 あるつぶやきが。


お店のオーナーであるその方曰く。


「カラ投げは、控えめにお願いします。」とか
「カラ投げは、○回までにお願いします。」と
書いて貼りたくなりました。(泣‥というもの。


それに、応じて 別の人が、
"デパ地下の試食で
 お腹いっぱいになるまで食べるようなもの。"


マナーの問題なので、教えてあげた方がいい。
とか、やはり書いた方がいいとか。


デパ地下でお腹いっぱい‥これには、
上手いこと言うなぁと思わず笑ってしまった。


そう言えば、
どこかで見憶えのある光景だからだろう。
子供がへばり付きで、試食コーナーに陣取って
食べてる姿に気付いたお母さんが、
バツ悪そうに謝りつつ 手を引っ張って
連れていく姿が想像できそうで、
まぁ、あると云えばある光景。


これは、 子供が・・つまり、まだ
その陣取る主である人間(子ども)=人生の経験が浅く、
分別つかなくても、まだ仕方ないなぁという前提が
衆目の内にあり、それによって"ある程度"許容され、


更に、
また、それを目にした(気付いた)
("常識"備えているだろうはずな)親御さんが、
そもそも「試食」という、少しでも大勢の人に
試してもらおうという意味あいのシロモノ
ということを理解しているからこそ、
儀礼的ではあっても謝って
バツ悪そうにするという姿に対して、
さらに許容度が増される事になる。


もちろん、一方の見方として、売る側に対して
営業活動の一環としての無償提供であり、
大量受注に繋がる可能性を掛けての資本投下なんだから。と、

そう考えれば、売り手の戦略手管の問題で、
そのくらいは織り込み済みでなくちゃぁと。


そう、思ってしまう人も、いまは多そうだ。


まぁ、そこまで開き直らなくとも、
そういった、一方には営利が絡むのだから・・、
という目が 少なからず向いているのも確か。


ここらへんが、本来、
どちらが一方と線引きできないグレーゾーンであって、
それはモラルとかマナーとか、
時に時代、時に大数観察的なニュアンスによる
折衷的な話しの落とし加減が要求されるところ。


互いに経験と見識がないと、
曖昧で臨機応変的な居りあいづけだからこそ、
双方の人となりの程度如何がカギとなる。


法律に代表されるような明確な責任とか権利を
画一的に線引きすることが、上手くいくという人や社会は、
そう言う意味で見ると、子供的というか、
未熟成なのかも知れないとも思う。


話しがかなり反れてしまったが、(笑)

ダーツというアングラだったゲームが、
急激にマシンのエンターテーメント性の向上なども背景に
市場拡張し、ゲーム人口も増し、一方で
昔からこの世界に身を置く人達も、
こぞってゴールドラッシュの如く、
金をかき集めることに集中し、
多くの新規参加者へのアナウンスに
労と知を割かなかった人が少なくなかった事にも
その因は多いにあろう。


先のデパ地下の話しではないけれど、
店側としての本音、例えば、
セグメントもプラスティック製である以上、当然消耗品であり、
今のようにゲーム代が低額競争となった今、
メンテナンス、保守するためにも
空投げで 延々と投げられるのは勘弁と言う所だろう。


試食は試食であって、満腹にするために
一人で陣取って食べ続けられては
正直、かなわないなぁと言うのも頷け‥る?....ない?(笑)


ここで 客の権利、

誰も他にいないのだからいいだろ?という責任の有無
の主張を胸張って行動するようのは、
その見えないところで、

実は意外と損することもあるんですよぉ。^^

水心や魚心というのは、

まさに水面下で広がるのだから。


満喫などで慣れてると

ちょっと理解しずらいでしょうが、
まぁ、一般的なオーナーショップなどでは、やはり、
カラ投げは、2スロー程度、アップはカウントアップで。

を心がけてます。


最高得点獲得ゲームといった意味あいだけで
カウントアップをとらえずに。 


ぁ、蛇足ながら、
我々が 習い、今もそうしていることを参考までに。


リーグ戦など、早くお店に到着し、
誰もいないようでしたら、
積極的にお金を入れてマシンを使用します。


しかし、リーグ試合メンバーも
ボチボチ来始めたなら、「何かやりますか?」など、
申し合わせがないかぎり、
この場合は、かえってマシン占有してしまうことを
避けるためにも、カラ投げでアップをさせてもらいます。


ま、そのあたりは、
お店のマシンの台数などにも寄りますので、
大切なことは、やはり必ず 何か暗黙があったら
教えて欲しいと告げておくことが大切ですよね。


知らないお店に入って、
「カラ投げは○○でお願いします。」
と貼ってあるのを 時々見かけますが、
そういった事を、ことさら貼ってあるという事は、
今そう言う人が増えてるんだか、
そのお店がそういう客層なんだか

知るよしもありませんが、いずれにせよ、
ここは、そういったお客さんで溢れてるだなぁって
いつも思うんですよねぇ。

紹介もなかなかしずらいものです。

お店はお客が育てるもの、

お客だってお店が育てるもの。

って、まぁ、買い物も近所のお店より、

遠くの量販店やネットで購入する時代。

時代反映なんすかねぇ。(遠い目w

ぁ"- どの口じゃ  -"-

venue(home)での
ハードダーツ・リーグのプレイオフ(シーズン終了時、
ディビジョン〈クラス〉トップ同士の優勝決定戦)が2階で、
1階ではソフトダーツのリーグ戦第一節が。


上下行ったり来たり、
やはり、和気あいあいの中にも緊張があって、
試合全体の勢いの流れ、個々の試合の山々で
寄せたり変えしたりの空気は、
見ていても気持ちよく、そして面白い。


上下、クラスも種別も違うけれど、
やはり「アガリ」、つまりフィニッシュの
力がある人は、そしてチームは、
やっぱり強いなぁ。と、再び実感したりして。

試合終了後、そのへんの話題がつまみになる。


・・練習って なんだろう?!・・


メニューを決め、自分に負荷をかけて
それをクリアするという練習。



時間を目安にする人。

投げる中で、何かを掴もうと
延々と投げ込む。


または、


ゲームの中にだけ存在する 「ここ一番」を見出し、
それを練習‥というか訓練にする人。


みんな真剣のはずなのに
その上達の差ってなんだろう?!。

真剣と言っている

その「真剣」とは何を指すのだろう。

「真剣」じゃなければ

不真面目だと言うのではなく、
報われ難い、個人価値観レベルでの
「真剣」になっていないかなと思う。


もちろん自戒ありきで書くのだが、
ここのところ思うのは、


「言葉」というものが個々の人の持つ解釈に
明らかな違いを持つという以前に、

自分がどうなっているを知らないと言う
根本的事実の多さにとまどう。


そりゃぁ、、、 
自分が知ってて、かつ、
やってるつもりと言われれば、
それはもう、形や力学の問題じゃぁなくて、
人間そのものの性(さが)や性格の問題だったりする。


そうなるとやっかいなのは、
論理や科学の理論の交わしあいではなく、
感情の部類に突入する。 


その人が好きか嫌いか、
信用してるかしてないかのレベルだ。


宗教家や、科学的に証明されていない
施術をおこなうカイロプラクティックの施術者のように、
感情の扉をこじ開けた後でないと、浸透しない。

それを知ってて まぁ聴いてみれ?やってみれ?!とは、
さすがのオレも言うはずもなかろ?。


しかし、

こういった文章上にしろ、リアルな発言にしろ、
(とくに文章だと残っているので歴然だが)

スタンス、肘、グリップだぁを、おそらく本人
あれこれ考え、そのすえ上手くいかないことに
焦りだか、苛立ちだかを覚え


(と言っても そもそも努力、継続すべき延べ時間が

脳科学的にみても足りないというのに)


「必要ない」「考え過ぎてよくない」だとか
簡単に平気で口にする。


しかしながら、

時系列を追い、それらを黙って見聴きしていると、
しばらく経つと 、それは大事だとか言ってたりする。

確かに、その変わり身の早さは、きっとこの浮世にあっては
そこそこ役に立つ事もあるだろうて。(笑)


まぁ、人は概ねそんなものだ。気にするな。


が、問題は、

本人はいいが周りは困ることにあろう。 


「だって、だって、その時はそう思ったんだもん。」
 などと云う不倫痴情のもつれのような
セリフでも聴こえてきそうだ。


考え過ぎて、機を逃す。とか、
考えてばかりで やらない。のならば、
そりゃぁ 論外だが、
考え"過ぎ"なんてあるんか、だいたいと思う。


そもそも

やり過ぎた人の結末が天才と呼ぶのだと言うのは、
俺のような凡人の言葉じゃぁなくて、
優秀な脳科学者の言葉だ。

(それなら信じるかな?w)


なぜ入らないんだぁ・・は、

それは、考えてるんじゃなく、
悩んでる、悔やんでる・・であって、

そもそも意味が違う。


ひさびさに、

開いた口の中が渇くほどのアングリ(笑)。
あなたが自信満々に皆に向かって教示した
あれは、あれは、なんだったんでしょう?
と、中島○子にでもなったような気分になった。

自分も 気をつけよぉーっと。 と、
久しぶりに人の投げる腕の振りでなく
身と口のふりを見て気をつけにゃぁなぁと思いました。



自分を客観的に視てない。知っていない。憶えてない。


それはもちろん フォームもそうだし、
過信に満ち 偶然の奇跡を「実力」と思い紛う、
その心も含めて。注意したいもんだ。