終り書ければすべて良し‥ (としよう) | Prose 

終り書ければすべて良し‥ (としよう)

皆さん お元気ですか?


  ダーツ、 磨いていますか? (笑)

(※意味不明な方はココ 参照w)


いやぁ、「継続は力」 とは、
正誤、真偽とは別次元で
発揮するものなんだなぁと
改めて思ってみたり。


続けてるってことは、
それなりに 引っか‥ぃや、藁をも・・ぃや、
信じて、末に、なにやら購入する(ハメ)に
至るのではなかろうか???


(ま、いっか そんなことは)


さて、

それにあやかろうと云う訳でもないのですが、
やはり断続的と言えども、継続が大切とは、
我が意でもあります。


と云う事で、本年最後のエントリーを
あげておこうと思います。

今年のダーツシーンと云えば ・・


・・


・・


 ・ ・・


どうだったの? ん? だれか教えて?!



スミマセン、誰それがどーの
バレルがどーの、

そう、ダーツ始めた当初から
まったく興味の外だったもんで。


ただ、

先だって久しぶりに大きな大会に参加できる機会を得、
会場見廻し、旧知の人と言葉を交わして感じたことは、

上手い人が増えたような・・


数年前 ユニフォームに
ペタペタとロゴ貼らされて(貼りたがって?)
看板人間として 会場を闊歩していた人が
さま変わりしたような・・


ここに来て、
中堅処、老舗処といったダーツバーなどが
閉店された(される)ような・・



時の移り変わりの中にあって
こういったさま変わりは必然で、
今までも多岐に渡って
そういったさまを目の当りにしてきました。


思いおこせば、
流行りすたり、時の入れかわりが
激しいダンスという世界を想う。


同じ店に通いつつ、2、3年あたりで変わる
時の顔を自負した若者がいつしか入れ替っていく。


不思議なもので、
顔ぶれと時のファッションこそ変わっていくものの、
たとえばそれらの店で常連がたまる場所というのは、
何年経っても ほぼ変わらぬものだったりする。


当時は、同い歳ごろであったはずの人たちが、
当たり前のことだが、いつしか
どんどん歳下に変わっていくのを見ながら、
不思議な感覚だったのを思い出す。


また、トレンチ(トレーね)を抱え、
Tシャツ姿だったただのスタッフも、
いつしかタキシード姿とかになっちゃったりして(笑)
トレンチも持たなくなったりもする。

そういった人も、今思えば
一握りの居残り組だったんだけどね。


若い人が熱中するモノは、
出入りも、さま変わりも実に早い。


細かなダーツシーンには興味はないけれど、
"その世界"という観点で 先だってのように
お祭りのように大勢が集まる大会会場に身を置き、
ぼんやり眺めてみると その頃がオーバーラップする。


そう言えば・・先日、オンデマンドにて
司馬遼太郎氏関連のアーカイブをたまたま観た。


その中で、氏本人が言ったのか、

またそうであろうと誰かが思ったのか忘れたが、

その歴史上の人物を書くとき、


当時の本人では知りえない未来を知りつつ、
時に本人(の気持ち)になり、時に、

いっきにズームアウトするがごとく
視点を鳥が舞い上がるように

空から時代を俯瞰することが
その人物と社会、周りの人との九十九折りを凝視し、
おしはかり つむいで

違う人の人生を疑似的にでも体験する。

それが醍醐味である(であったのだろう)と言った。



そんな 大仰(おおぎょう)なことではないけれど・・、

勝って歓喜する人も
負けて場面展開に臍をかむ人も
ステージ上クラスであっても
ノービスクラスであっても
やれメーカーが統合しようが、
マシンの装飾が変わろうが、
個の悲喜交々は、変わらないことに安堵したりする。


変わることに一生懸命で、
ある時までをどん欲に過ごしてきた自分が
そういった変わらぬモノが愛おしいと感じるようになったことが、
もしかしたら 一番の変わったことかも。


浮いて沈んでも
まだ ここに変わらずいますよ・・という
意思表示であります。


好い御歳を。(笑)