前提の確認。
これを怠ると話がずれる。
意図的に前提をぼかして話を進めるのは詐欺の手法なんですが…

明日は電気グルーヴの作品出荷停止、回収の撤回を求める署名の提出および記者会見に出席します。賛同人なので。
ちなみに僕はただ彼等の作品を享受してきただけで知り合いでもなんでも無いです。
彼等にしてみりゃ、誰やねん?でしょう。

以前も知人のアーティストが同じ目に遭いました。その時も同じ話をしてます。
作品、というものがなんであるか?
極論を言えば永山則夫の本はなんであるか?

で、極論でないならば薬物報道ガイドラインに沿った行動とはなんなのか?
これは目的を社会復帰に据えるのか?
社会からの抹殺に据えるのか?
で変わる。

僕らみたいな音楽、あるいは著作、絵画でも詩でも。社会の幅の拡大、あるいは社会の外側への感度を保つのが存在意義だと思います。
それはかつての境界の人、士農工商の外の人が芸能を担当した頃から変わりません。
社会は秩序を保つために壁を作り、法による運営を試みるものです。
ただ、これは自然の流れには反しているので、度々スタート地点を思い出す装置として祭りが用意され、そこで音楽や踊りが催される。
彫刻や絵画も社会の外側を覗く窓として作られる。
こうした抜け穴がないと、社会のプレッシャーに人々は抑圧され、神経症になっていく。
今の社会を見ればわかりますよね?神経症の症状です。マスコミも人々の反応も明らかに。
こうした状況へのクッションとして古代からの知恵として芸能は抜け穴として機能してきました。

人、は社会の構成員でもあります。
法の下で裁かれるのは当然です。
ただ、その法自体も時代と共に変わるべき、という議論は別でありますが。

作品にはその人そのものとは当然別の役割を果たすものです。

まず、人の話。
例えば瀧さん本人はこれから大変な日々を過ごすことはほぼ確定しています。
その上で、前提として。
社会に復帰することを望まれている、はずです。
薬物事案に関しては世界では特にその復帰の部分に注力しています。
日本で話題になる薬物報道ガイドライン、これは皆さん、流石に知ってると思うけど。
ガイドラインの目的も、社会復帰です。

作品出荷停止といった自粛はこの目的に反します。
本人の復帰への意欲にもプラスになる面は無いのは当然として、作品は一人で作るものでもありません。映画なんて本当にたくさんの人が関わってます。
発表されたものに関しては、皿は旅をする、というBossの言葉を借りるならさまざまな人の人生に組み込まれ、独立したものになっていきます。でなければ、アーティストの死後の作品に価値などありません。
ゴッホでもカフカでも。

薬物使用を煽るのでは?という心配に関しては。
街中で無制限に流すものではない。
欲しい人が、自分で選んでお金を支払って享受するものです。強制的に電気の曲をみんなが聴かされる状況を望んでいる人などいません。

さて、自粛は株価やレコード会社のブランドを守るもの、という意見があります。
海外で同じレコード会社が作品回収という手段を取らない理由と比べればわかりやすい。
これは受け手である社会、および文化の問題になります。
社会が薬物事案からの復帰を望むようであれば、復帰を応援する会社の株価やブランドは上がります。
レッドホットチリペッパーズでもホイットニー・ヒューストンでもブルーノ・マーズでもエリック・クラプトンでも良いですが。
彼等が薬物事件を起こしたタイミング、何度もありますが、で回収をした場合のレコード会社のブランド評価がどうなるか? 想像は容易いと思います。

今回、SONYの行動の裏には、日本社会は薬物などの不祥事を起こした人物は社会復帰よりも抹殺を望んでいるのだ、という判断があるわけです。
こここそが、今回考えなければいけないポイントです。
つまり、僕らはそんな社会で良いのか?という問いです。
僕はラッパーなので、当然NOです。

いま、ワイドショーの報道がどちらを向いてるかは言うまでもない。
DOMMUNEを46万人、令和生中継と同じ数の人が観ていることが可視化されました。
つまり、もう選択肢がちゃんと存在します。

僕らの社会がどちらに向かうべきか?の選択肢です。
選ぶのは誰か?
僕たちであり、そして僕たちが構成する社会に基づいて判断するレコード会社だったり、マスコミです。

今回の署名は6万4千人。
無視しても良い数かもしれません。
でも、僕はちゃんと選択肢を提案したい。

作品回収という謎の風習が始まったのは槇原敬之さんと言われてます。
その頃から社会は神経症を次々と発症しています。

実はそんな神経症を癒すツールこそが音楽や映画、絵画、彫刻、文学といった表現です。

ちなみに石野卓球さんの一連のツイート。
神経症から回復するのに最も大切なもの、友達論として非常に優れています。

そして瀧さんはあんな友達がいて、本当に良かったな〜と思います。

そんな卓球さんに絡んでいく人たちは、その友情への嫉妬と諦めからまた神経症を酷くしているように見えます。
90年代、ああいう友情。
社会の外側にだって一緒に行けるよ、という関係性は割と見られた。今はどうでしょうか?
でも、選択肢があるならどちらを選びますか?

連日のワイドショーのような社会か?
それとも家のレコードプレイヤーで当たり前のようにあらゆるレコードが回っている社会か?
そんな選択肢です。

そして、この話は。
法のもとで暮らす人が裁かれる事とは別の話なのです。
そして、薬物事案とどう向き合うのか?もまた別でちゃんと議論する必要がある。
薬物報道ガイドラインに沿って。

今回の件を感情的な!と言う人もいるのですが、いかがでしょうか?
僕はもちろん感情を込めて考えていますが。
ちょっとだけ筋肉が機械化してたかもしれません。

明日、SONY側も時間を作ってくれて署名を受け取ってくれます。
そのあと、記者会見です。

そんなのピエール瀧は望んでないよ!

当たり前でしょ、彼等は電気グルーヴですよ。


宇宙平和