暗い話として、ではなく自分の葬式の演出を考えていた。

定期的に遺書を考え、死を携行する。
さて、葬式はどうするか?

とりあえず4月11日片目と語れ、5years カウントダウンパーティーは定点記録として撮影して葬式で流したいな。
去年は義太夫さんと浅草キッドをやった。今年も皆さん、よろしくお願いします!ま、簡単にはくたばらんと思うけどね!



死を「知る」事は出来ない。
何故なら「死」とは「知覚」する主体の消滅だからだ。
ただ、それは確実に在る。
僕が向こう側とか向こう岸と表現する、知覚出来ない何か、を分かりやすく教えてくれるのは死であり、だからこそ古今東西多くの人が死について考えてきた。
不死や延命は死を知る事にはならない。むしろ遠ざけてるだけだ。
そして、臨死体験や瀕死の体験は、まさにすぐそこ、までやってきたナニモノかを感じつつ、そのものに触れる事は出来ない。
でも、その感じる感覚こそ。
生物が本来備えてるアンテナだと思う。

マルクス・ガブリエル言う所の世界は存在しない、という議論の進め方。
モノが存在する、その為の土壌が世界であるので、存在の外側、というか。

死について考える時の感覚はこれに近い。
考えてる自分がいなくなった時に初めて体験するもの。そのギャップ。
そこを意識する事で、自分とその外側への意識が芽生える。
そんな。
外側からやってくるものを迎え入れる構え。
それが僕の考えるフリースタイル。





今日は。
単行本の追い込み作業、明日入稿でその前に飛び交う確認メールは。一つ来る度に良くなっている。いいぞー!

身体の調子は悪い。だるい。
昼起きて少しすると長女帰宅。
友達とプール行く予定がバラしになったので早めに帰ってきたとの事。
新しい担任は一日中ゲームしかやらなかった!と言うので、面白いなー、と思う。

長女の小学校、1、2年の時の担任は心の病で退職。3年の担任は教育センターに転属。新しい先生が20人も入って来た。
新4年生の長女が「大丈夫かい、うちの学校?」と言っていて。まあ、君の構えなら大丈夫だよ、と思った。

夕方、バイス観賞。





面白かった!
記者たち、と合わせて観るのが良いかと。





アメリカではこの時期の映画が増えてる。
日本で作られないのかな? 小泉政権の映画とか。
バンビでスタミナ鉄板焼き食べる。

帰宅。
娘がドリフを観ながら、まんじゅうちゃんと言うキャラを作っていた。可愛い。



原稿チェック。

日本語ラップ春秋、最新回は!
マイカデリックと電撃ネットワークコラボの話。


全身のだるさをどう捉えるか?
筋肉痛も…

宇宙平和