懐かしいテープを紹介して貰ってます。
ちなみにこの2本のテープはI-DeAの自宅で録音したのよね。
今ではBad Hopが自力で武道館やってしまうので比べるとなんですが…
当時25歳前後だった僕らは大きなイベントは先輩世代に独占され、そのクルーメンバーがステージに上げてもらえる感覚くらいしか無かった。
アルバム出してもなかなか大きなイベントには呼ばれないので…自分でやろうと僕が主催しました。
全出演者自分で口説き、そして、当時の僕らの世代特有のピリピリ感もあり、本番でも揉め事だらけ。
特に妄走族は尖ってて大変だった。
もっともステージ裏ではケンタが「俺らのアピールの仕方はプロレスだからさ。ダースは分かってよ!」なんてね。まあ、でも大変だった…般若とも後日やり方が良くねえ!でもお前がやるって言うから出たよ。なんて話をしたりね。
D.OとMACCHOとCORNHEADのユニットのほぼ唯一のライブもやったし、そこに餓鬼レンジャーとかGAGLEもいて…って名前並べるだけでも大変だ。
でも僕は無所属と言うかアウトサイダーだったからスタイルウォーズをやりたかったので仲の良いヤツらだけじゃなくてハードな連中にも声をかけた。
とにかく時間も押して。でも最後までやったら楽しかった!揉め事経験値も増えたし!
で、2回目は大阪、広島でもやって。
これはあるイベンターが組んだツアーがポシャって空いた会場をそのまま使った裏技なんだけど大赤字で呼び屋さんは行方をくらました。
この時はシンゴ西成くん、韻踏合組合、AFRAの日本初のソロステージ、イルリメとかを同じステージで。
広島でサイコブロー、黒羽、岡山のYOUTHにも電話して協力して貰った。
サムライトループスは自腹で全会場着いてきてくれた。
自分で…と言うけど、こんな企画を実行させてくれたのはチッタ松井さんのおかげでとにかく迷惑をかけた。
ウーフィンの荒野さんにPRして貰い、マイカデリック時代の仲間たちにデザインから何から手伝って貰った。
流派Rで後パプもやって自分でナレーション入れたなぁ。
この後、3回目でバンドも混じえてやったら更に大赤字の上時間も押しすぎて出演バンドに怒られ(その前にセックスマシンガンズの単独やってて1時間以上押したんだよな)ネットでは事実無根の誹謗中傷も食らって(ダースはイベント途中で先に帰ったとか書かれて…昼前まで松井さんに謝ってたっつーの!)。
確かにチッタの狭い窓から逃げるか!ってマジで思うくらいのやらかしだったなぁ。
その後、始めた日本初の日本語ラップオンリーのイベント蝕(これもあれですね、日本のヒップホップの歴史的にどう評価されてるのかな?)と合体させた大蝕としてチッタで開催。
ウルトラの神保さんにも手伝って貰って。
という事を20代はやってたんですけど。
気づけば今も!
スタンス変わらねー!やべー!
すげー自主だぁ、と今日はべーソンズリハをやりながら。
誰も呼んでくれないから自分たちでやる相談してて笑ってしまった…
こんなパーティーとかね。
でも25の時は色んなスタイルのヤツらを含めたコミュニティを意識してた。途中その意識も忘れそうにもなってたし、それも失敗の原因だろう。
蝕も広い意味での日本のヒップホップを考えていた。
上手くいかないことだらけだったけど。
だからずっとヒップホップ。
間違えまくって失敗しまくってる。
復活の呪文もまたヒップホップ…って便利な使い方してんじゃないよ!
なんて事を久々に思い出したので。
風邪で寝込みながら書きました。
べーソンズは11日に札幌!
リハ良い感じだぞー。楽しみたい!
宇宙平和