やっと帰宅。
朝から長い1日でした…



まず、自伝的闘病記『NO拘束』。
単行本にする打ち合わせ。
来年頭を目指して今月沢山書くぞ。

下北沢に行くと高確率で会うDNCのソラとJazzySportsガクチョーとまたばったり。
彼らがシモキタ荘だったので僕も打ち合わせ明けにサクッと全部がけ。
美味しい。

オショウとはぁ〜?収録。
30分でタイトにした結果、再生回数減ると言う…なんじゃこりゃ!






長女が帰宅するのを待って出かける。

永田町から久しぶりに参議院議員会館。

台湾の元死刑囚にして冤罪無罪を勝ち取った徐自強さんと世界を股にかけて死刑の現場を撮影し続けるカメラマンのトシ・カザマさんのクロストークにスピーカーとして参加。
冒頭、福島瑞穂議員が挨拶に来たのでダンス文化推進議連の話も少し。
特に尽力してくれていた故小坂議員の話になると「あの人とは仲が良くてね。本当にいい人だったのよ。」と言っていた。

トシさんの話が力強く説得力に充ちている。
世界中で政府と交渉して拘置所、死刑場、そして死刑囚やその家族、被害者家族の撮影を続けている。
テキサスの刑場、死刑囚の最後の食卓には造花が飾られている。
なぜ造花かと言えば…処刑が多いといちいち花を変えてられないからだという。
台湾の死刑は銃殺。
死刑囚は刑の前に臓器提供の有無を聞かれる。
提供する場合は延髄を撃たれ、しない場合は心臓を何度も撃たれる。
死刑場は黒い砂場になっている。血が染み込んでも大丈夫なように、そして銃弾が跳ねないように。

知っていただろうか?

徐さんの話は当事者としてこれ以上無いリアリティーが溢れている。
死刑判決が出てから徐さんが初めて会った外部の人間がトシさんだったと言う。
トシさんは台湾で講演した際に当時の大統領顧問が感銘を受け、台湾の拘置所の撮影の許可が下りたのだそうだ。
徐さんの撮影をした際、顔を写すなと最初言われたが、交渉した結果横顔ならOKになった。
この徐さんの写真は死刑制度の実態を世界中に伝えるアイコン的な1枚になった。
トシさんは笑いながら、「みんな無許可で使うんだよなー」と後で言ってましたが…

徐さんは誘拐殺人の罪で全国に指名手配されていた。彼は身に覚えがなく、テレビで自分が指名手配されていたのを知ったという。
当初、司法を信じていたので無実を訴え出頭したら拘束され、死刑判決が下る。
実行犯4人の中に兄弟がいて、兄弟同士をかばうために従兄弟である徐さんが実行犯だと証言した。

当時の台湾では死刑囚は手と足を鎖でつ繋がれていた。
トシさんの写真で手首足首が黒ずんでいる事に世論は反応し、台湾での鎖は廃止される事になった。
支援団体が出来て徐さんのサポートを始めたが彼が釈放されるのに16年、裁判で無実が確定するのに更に5年がかかった。
途中、刑事迅速法により未決囚は8年以上勾留出来ない事になり殺人犯のまま釈放され、その後無罪になった。
共同犯の証言は反対質問を経なければ採用されない事にもなった。
こうして台湾の司法は変化して行った。その契機としなったのが徐さんで。
更にその契機となったのがトシさんの1枚の写真だ。

現場を伝える1枚の写真だ。

ここでこれを言うのも今更だが。
ジャーナリズムの意味をこれ程分かりやすく伝えてくれる事例はあるだろうか?

徐さんは自身の経験を伝える為に自費で来日講演えを行っている。

最後に司会のジョー横溝さんから振られて講演の内容をフリースタイルした。

聴いていたスピーカーで弁護士の小川原さんが盛り上がってくれて、トシさんからは「これはインプロヴィゼーションなの?」と驚かれた。

参議院議員会館でのラップも初めてだ。
最近の初めてシリーズ、また更新。

終えてからみんなで赤坂の一龍でソルロンタンを食べた。





その時に聞いたら台湾の検察の起訴の有罪率は96%くらいらしい。死刑賛成の声は世論では8割。
それでも司法は変えられた。では日本は?
徐さんは袴田さんの支援者達とも話してきたと言っていた。
伝える事こそが現実を変えていく唯一の力だと。

ではラッパーの役割はなんだ?




僕はヒップホップで学んだ考え方で自分になにが出来るのか?
今夜もまた考えさせられた。

安田弁護士の事務所に寄り、色々話を聞く。
トシさんと安田さんは8年ぶりくらいの再会みたいで、ニューヨーク在住のトシさんからはアメリカの今の話を。
そしてあまりに力強く全くそう見えないが実は来月還暦と聞き、世の中には恐ろしい人達がいるもんだと改めて感じた。

うむ。

宇宙平和