様々な考え方の人が何かを決定する場合、大事なのはプロセスだ。
なんならそこしか共有出来ない場合すらある。右も左も宗教の信者も無神論者もサラリーマンもニートもひっくるめて社会は構成されていて1送三千万人も人がいる。全員一致など有り得ない。
でもプロセスを全て透明化して決定すれば様々な考え方はそこに包含される。
プロセスをすっ飛ばして結果はこうなんだから従え!と言うのが権威主義で、モリカケも安保法制もそここそが問題。
大した問題じゃない!という人も良くいる。
であれば、尚更プロセスを明らかにすれば良い。
誰も文句ないでしょう。
それが証拠を廃棄した、記憶にない、記録に残してない…とことごとくプロセスをすっ飛ばした説明しか出来ない。
これがダメなんです。
まあ、8億円が大したことないと言える富裕層の方の意見はさておきね。一般国民が生涯に稼げるお金って幾らよ?
小池都知事も情報公開を看板に出てたにも関わらず築地豊洲問題も希望の党立ち上げの経緯も全てプロセスは不透明。
なんなら前原氏も実質民進党を解党するプロセスは不透明。
思想も考え方もそりゃ色々あるんだから。
共通言語であるプロセスを明らかにしなければ、そんな決定には従えない。
なんで? どうやって? 決まったのか?
逆に自分は不本意でもプロセスを経た決定には正当性があるから従う。
安倍政権に不満があるのはそこだし、モリカケみたいな問題ですらプロセスが明示出来なかったからこそ顕在化したとも言える。
安保法制も共謀罪も原発も辺野古移設もプロセスを経た上での決定ならばまだ分かる。
でも、僕は少なくともプロセスをすっ飛ばす権限を誰かに認めた覚えはないんです。
そして、民主主義社会においてプロセスを経て物事を決定するには相当な熟議が必要です。だから国会があるんですけどね…様々な意見や考え方の人が熟議して決定する。その参加メンバー、誰が決定権を持つか、どこまで情報が共有されているか? 合意事項を積み重ねるのが政治家の仕事だと思ってます。
願わくばこの選挙を通して、どの政党だろうとプロセスを経て物事を決めるという当たり前のスタンスを取り戻してほしいです!
で、これは何も政治家だけじゃない。
会社でも組織でも。
様々な考え方の人が集まる場でプロセスをすっ飛ばして物事を決めようとする人はいるし、勝手に情報アクセス権を制限する人が出てくる。
こういう時に泣き寝入りだったり、黙ったりしないで。
いやいや、その進め方おかしいでしょ?と言わなければダメだと思います。
改めてそう思う。
もう一つの視点は。
損得 vs 正しさ
損得に走った人がコケるのはコメディーの黄金パターンなので!
やっぱり笑えますよねー。さて?
宇宙平和