MCバトル史から読み解く日本語ラップ入門。

 

みなさん、お読みいただけたでしょうか?

というのも!

 

発売1か月経ちましたが・・・売れている!という話はついぞ聞いておりません。

というか印税の紙が来た限りでは・・・初版からビタ一冊はみ出す気配なし!

 

それでいて!

読んだ方の感想は!

ほぼ100%のご満足を頂けているようなのです。

これは・・・広めてもらわないと・・・もったいない!

いや!

書くの結構大変だったし。

読んで欲しいと思って書いてるので!

 

ここはなにとぞ!

 

と言ってばかりでも、まあ難しいのかな?

あと。

タイトルに違和感あり、ということでAMAZONの評価が低い方もいて。

これは編集部が決めたんです!と言い訳してもいいんですが。

 

先日、ライムスターの宇多丸さんがタマフルで紹介してくださって。

その際、日本語ラップ本としても評価していただいたので。

そういう意味合いでもオッケーとさせてください。なにとぞ。

 

ラジオの書き起こしは職人みやーんさんのサイトで!

みやーんさんによる番組書き起こし

 

 

あ、本当にタマフル効果はありまして。

放送聴いて手に取ってくださった方、結構いました。

ありがとうございます!

 

でも。

先日もとある場所で新しいMCバトル企画を進めてる方にあったのですが。

僕への話しぶりからしても・・・どうも読んでないな~、というか本の存在もしらない?

と感じました。

 

一応、希望としては。

世の中に氾濫するMCバトルの企画だったり、特集だったり。

そういうものを考える人には・・・最低限この本を読んでおいて欲しいなと思ってます。

その上でね、どうするかとか考えてくれれば大筋は大丈夫かな?なんて。

ブッキングも・・・ダ〇ンジョン(って伏字にすると怪しさが増すってだけなんですが)に出てた順、とかじゃなくね。

しかし、雑誌とかのバトル特集、本当に僕に話聴きに来た人皆無だったからな。

そういうのもあって、この本、なかった事にしたいのかな?アノ組織が(という思考から陰謀論者が生まれるんですよね)!

ま、あくまで希望ですが。

 

なんせKADOKAWAさんは売れる本が多数あるので・・・

こんなマニアックな本の宣伝なぞ一切やらんぞ!という強固な意志を感じている次第で・・・実際、PRは僕個人しかやっておりません・・・

40歳無職の自称ミュージシャン(病人)にはなかなか荷が重いので・・・

口コミ5000も!是非!

 

こちらだと棚探さなくても買えます。

電子版もありますよ。

 

 

で。

どんな内容かわかんねーよ!

って方もいると思うので・・・

 

ほんの出だしのね。

書き出し部分を以下に載せますので!

 

続きも読んでみようかな?って方はね。

是非とも~

 

第1章より・・・

 

■自然発生するフリースタイルバトル

 MCバトルとはそもそもなにか。これは即興も含むラップによるバトルということになります。いまでこそMCバトルがどういうものかをイメージするのも容易になりましたが、日本においてそこに至る道とはどんなものだったのか。
 本書におけるラップとは、言葉をリズミカルに演奏するヴォーカル技法を指します。そして本書におけるフリースタイルとは、TOP OF THE HEADと呼ばれる、その場で言葉を考えて出す即興ラップと、レゲエのラバダブのように、その場の状況に合った持ちネタを繰り出すスタイル、およびそれらが組み合わさったものを指します。
 フリースタイルというもの自体は、日本語ラップの歴史の初期からあったと思われます。即興ラップの歴史は九〇年代初頭、MELLOW YELLOWのK.I.Nが現場で披露したのが始まりとされています。また、同時期にT.A.K. THE RHYMEHEADが身内であるZeebraやUZI相手のサイファーで試験的に行っていたようです。
 フリースタイルバトルはもともと競技性のあるものではなく、こうした現場におけるフリースタイルから突発的に発生するものがメインでした。僕が最初にバトルらしいものをしたのは人気グループSOUL SCREAMのE.G.G.MANさん相手にでした。当時は、クラブでのライブの後には必ずオープンマイクという、フリースタイルをするための時間がありました。そこで、ライブの時間をもらえない人がフリースタイルをして盛り上げれば「お前よかったじゃん」と評価され、次のイベントなどでライブの時間がもらえる可能性があったので、若きラッパーたちはこの時間をいまかいまかと待っていたわけです。僕はここで目立つ=前にライブしてた人たちより上だとアピールする、つまりバトルを仕掛けなければいけない、と思い込んでいました(なぜそう思い込んでしまったのか……)。
 その日、渋谷FAMILYで開催されたイベントのメインがE.G.G.MANさんでした。めちゃくちゃカッコいいパフォーマンスを僕は最前列で盛り上がりながら観ていました。なんなら歌詞をかぶせて歌えるくらいのファンです。ライブ後に恒例のオープンマイクの時間となったので僕はすかさずステージに飛ぶように上がりました。ただライブ陣にバトルを仕掛けなければいけないという頭ですから、さっきまで最前列で盛り上がってたくせにいきなりマイクをつかむと「この卵男! てめえ聞けこの野郎!」……と、テンパって客席に背を向けたまま、しどろもどろなラップを仕掛けたのです。完全に痛いやつです。場は完全にしらけて、次々と若手ラッパーたちが上がってきてフリースタイルをキメていきます。僕は「うわ~、やっちまった!」とうなだれて店を出ると、外にE.G.G.MANさんがいました。僕は素直に「すみません。フリースタイルなのであんなこと言っちゃいました。ファンです!」と、誤りました。本当になに言ってるんだこいつ、って話なんですが、E.G.G.MANさんは「勢いは良かったよ。ラップするときはさ、マイクをしっかり口の前に持ってこないと声拾ってくれないよ。あと客に背を向けちゃダメだよ。」と教えてくれたのです。いま思いかえしても男前過ぎますね。
 でも、バトルを仕掛けるスタイルは懲りずに続けていました。六本木ZEUSでやっていたB.D達のクルーNIGHTRAINのイベントに行ってB.Dのイケてるラップに返り討ちにあったり、別のイベントでライブしていたラッパーの取り巻きにステージから引きずり降ろされて文字通りボロ雑巾にされたことも何度もありました。ある晩に食らったひざ蹴りはよく覚えてます。「わ~、本当に胃液が逆流してる!」と感じたものです。
 こうしたオープンマイクで発生するバトルの勝敗には、明確なジャッジ基準が存在しません。ある意味盛り上げたら勝ちなのですが、あるラッパーとのバトルでは「お前、どんなイベント出てるんだよ? 俺はYOU THE ROCK★と同じイベントに出たことあるから俺の勝ち!」という謎の理由で負けを宣告されたこともありました。
 SHAKKAZOMBIEのHIDE-BOWIEさんともバトルしたことがあります。これまた六本木ZEUSでした。僕はそのイベントに『WU-TANG CLAN AINT NUTHIN TA FUCKWIT』という12インチレコード一枚を持参しました。この日は秘めたる決意があり、一発かまそうとこのレコードのインストトラックで必殺のバトルライムを用意していたのです。『北斗の拳』に登場する、北斗百裂拳という技をテーマにした「オーアタタタタ!!」という曲で、これは実は、その後何度も音源にしています。DJ HAZIMEさんがDJしていて、のちにNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとなるSUIKENさん、S-WORDさん(当時はSHIMO)、MACKA-CHINさんがライブをしていました。鳥肌が立つほど強烈に盛り上がっていましたが、ライブ後にDJブースまで行き、DJ HAZIMEさんに持ってきたレコードを渡して「これ、かけてください!」と頼みました。彼は「なんだこいつ?」という顔をしましたが、面白がってくれたのかレコードをかけてくれました。
 ライブ後のざわめきが落ち着かないところにWU-TANGのイントロがかかり、僕はマイクを取ってステージに出ると「俺がダースレイダーだ! 俺の方がかっこいいぜ!」とかまたイタい啖呵を切ってラップを始めました。ところが推して知るべしなのですが、全く盛り上がらず、やべー! と冷や汗がたれた瞬間、会場にいたHIDE-BOWIEさんがマイクを握ってステージに上がってきました。「YO! こいつがやったのは下手/な持ちネタ/俺から贈ろう/マジなフリースタイルを!」と即興を披露したのです。ぶち上がる客席。で、そのあとそのままWU-TANGのトラックに乗せてSHAKKAZOMBIEの人気曲『手の平に太陽を』の1ヴァースを歌って会場は熱狂の渦に巻き込まれていきました。
 僕はと言うと、バトルを仕掛けておいて意味不明なんですが、カッケー! と客と一緒に盛り上がっちゃってたんですが。終わった後、MACKA-CHINさんから「お前、まだ全然ダメだよ。でもラップ聴いて欲しいなら俺は原宿のFAT BEATZってレコ(ード)屋にいるからさ。いつでも来いよ。」と言われたので、さっそく翌日の昼に店に行き、扉を開けるなりラップしながらレジにいたMACKA-CHINさんのところまで突き進んで「どうだ!」と顔をキメました。彼は「お、おう。よく来たな。」と呆れて笑ってましたね。我ながら極上に面倒くさいヤツだったと思います。
 なぜ僕はそんなにも挑み続けていたのか。いま思い返してもよくわからないのですが、その場にあるものを全否定して自分が一番だと言わなければならない、というラッパーとしての間違った強迫観念がありました。どうせ仲間も友達もいない。だから他のことは知ったことか! というノリだったんです。誰も正解など教えてくれません。いや、そもそも正解など存在しなかったのだと思います。当時は本当ひとりでクラブに行って入場料を払って虎視眈々とオープンマイクの時間まで待っていました。そして大概はバトルで文字通りボコボコにされてから朝までフロアの隅っこにいました。こ、怖い……。
 こういうバトルはあちこちで生じていました。それこそ般若は来日したWU-TANG CLANのステージに乱入しようとしたという噂もありましたし、彼がCLUB ASIAでG.K.MARYANのステージに上がって行って「お前の証言が聞きてえな」とラップした時には僕も会場にいました。KREVAが大阪の茂千代とバトルしたらしい!といった噂話がヘッズの間を駆け巡った時もありました。まだネット以前の時代、多くのラッパーがなんとかスキルをアピールしようと切磋琢磨していたのです。
 

 

はい!

ドン!

 

そういえば佐藤秀峰さんのブラックジャックによろしくの件、大変そうだったな・・・

 

それでは。

 

よりよきMCバトルと日本語ラップ人生(ってなんじゃい)を是非!

 

宇宙平和